IT業界のトレンドサイクルがかつてないほど高速化する現代、生成AIの台頭によって「ただコードを書けるだけの価値」が揺らぎ始め、若手エンジニアの多くがキャリアやワークライフバランスに悩みを抱えています。
今回は、音声編集や配信基盤の構築、動画制作、Webサイト作成、ITサポート、VRプラットフォーム構築参加、さらにはドローンの自動化まで、多領域を横断するフリーランスのエンジニア・池野誠さんにインタビュー。
国内外4つの拠点を行き来しながら活動する彼は、どのようにスキルを組み合わせ、変化の速いIT業界を生き抜いているのか。AI時代におけるエンジニアの価値と、新時代のワークライフバランスのリアルを伺いました。
専門学校卒業後、19歳で音楽コンテンツ制作会社でエンジニアとしてのキャリアを開始。業務効率化のため自動化ツールを独学で開発したのち、生配信基盤の構築に従事。セブ島での語学留学を経て、ドローンやAR・VRなど先端領域に携わり、現在はフリーランスのマルチエンジニアとして、ドローンによる日本各地の工場インフラ点検の自動化、VTuberプラットフォーム開発、地方創生施策などを手掛ける。タイ・フィリピン・千葉など複数拠点で活動するデジタルノマド。
音楽コンテンツ制作会社での「自動化」がエンジニアの原点
――学生時代からエンジニアに興味・関心がありましたか? また、エンジニアになろうと思ったきっかけは何ですか?
池野:学生時代通っていた専門学校は、ビジネスの基礎を学びつつ、釣りも本格的に学べるという非常にユニークな学校でして(笑)。当時はブラックバスを釣ることに熱中しすぎて、情報工学などのエンジニアリングは一切専攻していませんでした。
釣り三昧の日々を送る一方で、もう一つの趣味として高校生の頃からDTM(デスクトップミュージック)に没頭していました。パソコン機材を独学でいじり倒して得たDTM技術が、着メロを提供する株式会社CELLに入社するきっかけとなりました。釣り竿からマウスに持ち替えたわけですね。
――エンジニアとしてのキャリアの出発点となった、音楽コンテンツ制作会社でのお仕事について教えてください。
池野:当時はガラケー全盛期で、着メロのデータ作成や芸能人のボイスコンテンツ音声を編集していました。例えば「池野、メールだよ」という音声は200種類以上の苗字データと定型フレーズを波形編集ソフトでひたすら手作業で結合していく作業で、気の遠くなるようなルーティンワークでした。
――プログラムエンジニアとしての第一歩となった自動化ツール開発は、そこから生まれたのですか?
池野:はい。根底にあったのは「サボりたい、楽をしたい」という欲求でした。プライベートでやっていたゲームで自動レベル上げマクロを使っていた経験から、キーボード操作や画面の条件分岐を自動化するスクリプトを自作し、音声編集の操作も完全に自動化できるようになりました。
そして、自動制御ツールを見つけた上司に「時間が余っているなら他部署も回って」と言われ、社内の着せ替えコンテンツの画像処理など、あらゆる業務の効率化ツールを横断的に開発するようになりました。怠惰を極めるために作ったものが、逆に仕事が増えるという結果になってしまったわけです。
その後、iPhoneをはじめとするスマートフォンの台頭により、着メロなどのガラケー特有のコンテンツ市場は急速に衰退しました。会社の存続が難しくなり、親会社である株式会社ドワンゴに吸収合併されることになります。ハードウェアの進化が、ひとつの事業を終わらせる瞬間を肌で感じた経験でした。
レガシーから最先端へ。技術の変遷を泳ぎ切るシステム思考
――ドワンゴではどのようなプロジェクトに参加されましたか?
池野:ドワンゴでは立ち上がったばかりのニコニコ動画のプロジェクトに配属され、配信エンジニアとして携わりました。当時は今のようにブロードバンド回線が安定していなかったので、パケットロスをリアルタイムで監視しながら手動でビットレートやフレームレートを調整し、複数カメラをハードウェアスイッチャーで切り替えるなど、ITの最先端でありながら非常に泥臭い現場を回していました。
やがて、ニコニコ動画がビジネスとして巨大化していくにつれて、マニアックなオタク文化や、とりあえず変なことをやってみようというチャレンジ精神が薄れていくのを感じました。常に新しい技術やカオスな環境に触れていたいという自分の軸と、会社が求める方向性にズレが生じ、ここが潮時だと退職を決意しました。
――退職後は別のIT企業へ転職するのではなく、語学留学に行かれたそうですね。
池野:当時、ITでエンジニアとして痛感していたのが英語の壁でした。プログラミングにしても最新のデバイスにしても、最先端の一次情報はすべて英語で発信されています。日本語に翻訳された二次情報を待っているようでは、この先エンジニアとして頭打ちになるという危機感がありました。
そんな中、著作家の高城剛さんの本(『モノを捨てよ、世界へ出よう』など)を読み、身軽になって世界へ出るという考え方とフィリピン・セブ島の語学学校で採用されている合理的な学習システムを知り、フィリピンへ語学留学に行くことを決めました。
収入は完全に手放すことになりましたが、不安よりも、閉塞感を破って世界が広がっていくことへのワクワク感の方が大きかったです。収入ゼロからのリセットと留学の経験は、フリーランスやノマドワーカーとしての生き方につながる大きな転機となりました。
――語学留学後は、どのようにエンジニアとしてのキャリアを積みましたか?
池野:8か月間の留学を終えてアジア各国をのんびりと放浪していた最中、元同僚から「新しくドローンビジネスを立ち上げるから手伝って」と連絡が入りました。
世界最大手のドローンメーカー・DJI社のドローンを提供してもらい、ハワイやアジアの空で飛ばしてみると、そこには地上からの視点でもなく、航空機からの俯瞰とも異なる、まったく新しい世界が広がっていました。自分が狙った高度や画角から、三次元空間を自在に操りながら映像を切り取っていく感覚に衝撃を受けました。
――それがドローンとの運命的な出会いだったのですね。ドローンを活用した業務では、実際にどのような課題解決に取り組まれていたのでしょうか?
池野:始めは株式会社ORSOへ正式に入社し、デジタルハリウッドに新設されたドローン学科の教員として教壇に立ちながら、教科書の執筆や安全基準の策定など、日本のドローン産業の基盤づくりにエンジニアとして深く関わっていくことになります。
やがてドローンブームが落ち着いたころ、友人に会社の立ち上げを手伝ってほしいと誘われ、一度ドローン業務から離れました。
それからフリーランスとしての活動が始まり、ORSO時代のつながりから「ドローンパイロットの求人事業を一緒にやらないか」と声がかかりました。フリーランスとして最初の案件を獲得し、業務委託としてインフラ点検の完全自動化システムを構築しました。
主な業務は、DJIの機体や自社開発のドローンを使い、石油工場のパイプや煙突、ソーラーパネルなどを点検することです。GoogleマップのGISデータなどを基に経度・緯度・高度を指定してプログラミングし、5メートル間隔で自動シャッターを切るように設計しました。取得した画像などは自動でサーバーへ上がり、AIが異常を瞬時に発見します。さらに、山奥に設置した箱からボタン一つでドローンが自動離発着し、充電からデータ転送まで行う仕組みを実現しました。
――ドローン業務の中で最も難しかった課題は何でしたか?
池野:水中ドローンの運用とシステム設計です。空と違い、水中は電波が通らないため有線ケーブルでの通信になります。潮の流れによって機体やケーブルが流されるリスク、視界不良による方向感覚の喪失など、三次元の空間認識と物理的な制約が非常に厳しく、トライ&エラーを繰り返して設計判断を行いました。
――最近参画されたAR・VR(VTuberプラットフォーム)について教えてください。
池野:Unity(※1)による3D空間描画とOBS Studio(※2)を連携させたバーチャルスタジオの配信を担当しました。VTuberのライブ配信において、演者の動きをキャプチャする各種モーションセンサーの遅延を極限まで削るためのネットワーク最適化や、機材選定のコンサルティングを行っています。
※1ゲームや3D映像で広く使われるリアルタイム3D開発プラットフォーム
※2 無料の配信・録画ソフトウェア
仕事と遊びの境界線を溶かす4拠点ノマドワーカーのリアルと、AI時代を生き抜く「点」のキャリア論
――ノマドワーカーとなるきっかけは何ですか? また、タイ・フィリピン・木更津・君津の4拠点はどのように行き来していますか?
池野:レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ザ・ビーチ』(2000年)に影響を受けてタイへ渡ったことが海外移住を意識するきっかけとなり、インターネットさえあれば、PC1台でどこでも働けるという実感を得たことで、ノマドワーカーとしての働き方へとシフトしていきました。
タイのバンコクでは安定したインフラ環境を活かし、システム開発やコンサルティングに取り組んでいます。フィリピンでは現地の仲間と共に森の中でサバイバル的な暮らしを送りながら、コイン式WiFiを使ってクライアントとオンラインでつながることもあり、環境の極端なギャップを楽しんでいます。
千葉の木更津では国内の拠点として海沿いで生活し、君津では山林を借りて山小屋を拠点に、ドローンの実証実験やDIY農業などを行っています。それぞれの環境を行き来しながら、仕事と生活の境界を分けずに活動しています。
――ノマドワーカーの魅力と苦労を教えてください。また、フリーランスのエンジニアに必要なスキルは何でしょうか?
池野:ノマドワーカーの魅力は仕事と遊びの境界線をなくせることで、フリーランスエンジニアに求められる能力は、面倒くさい不便なことに敏感になるスキルです。
君津の山小屋で野菜を育てていますが、毎日の水やりが面倒だったので、ソーラーパネルと雨水タンク、Wi-Fi搭載マイコンを組み合わせてオフグリッド型の自動散水システムをDIYで構築しました。不便を技術で楽に変えるのは遊びも仕事も同じで、このマインドがある人には最高の働き方ですが、仕事とプライベートのオンオフを明確に分けたい人には向いていないかもしれません。
この散水システムは現在、決められた時間に水が出るだけのオープンループ制御なんですが、今後の課題としてシステム全体のアーキテクチャを大幅に改良しようと企んでいます。ゆくゆくは取得した環境ログをすべてクラウドに蓄積して、野菜の生育状況との相関を分析する機械学習のパイプラインまで回す予定です。
ただの趣味の水やりでも、本気でシステム要件を定義してハックし始めると、立派なIoTインテグレーションの実験場になるんですよ。仕事と遊びの境界線を溶かすというのは、まさにこういう面白さですね。
――これまで一つの会社や業界にとどまらず、幅広い分野で活動されてきた理由を教えてください。
池野:一つの専門分野を何十年も深く追求しても、コード生成などはいずれAIに代替される時代が来ます。だからこそ、特定の技術に固執せず、広く浅く業界の技術に触れて、自分の中にきっかけとなる「点」を作っておく。それが将来、思いもよらない形で「線」として繋がるんです。
10代の頃に着メロの波形編集を自動化したマクロの思想が、ドローンを全自動化する、インフラを支える巨大な自動化パイプラインの構築へと昇華したように、過去のキャリアのすべてが今の基盤になっていると考えます。
――今もっとも関心のある分野や、今後成長が期待される分野は何だと考えますか?
池野:行政の観光PRや町おこしにドローン映像やVR技術を組み込むような地方創生の案件に関わっていますが、僕が今最も熱視線を送っているのはドローンデータ×AIによる画像分析の完全自動化と、AI時代におけるマルチエンジニアの生存戦略です。
現代は生成AIにエンジニアの仕事が奪われるといった議論が盛んですが、僕はAIに対してかなり肯定的、というより、共存していくべきだと考えます。例えばドローンの世界でも、僕らがインフラ点検で撮影してきた数万枚の画像データから、微細なクラックや錆のバグを人間の目で探すのは非効率極まりない。ここに画像認識AIのアナリティクスをパイプラインとして組み込むことで、判定のスピードと精度は次元が変わります。エンジニアとしてAIは敵ではなく、自分の手足を拡張してくれる最強のコンポーネントなんです。
――技術を組み合わせていく領域が伸びると。
池野:そう考えています。AIが優秀なコーディングパートナーとして進化してくれたおかげで、ひたすらコードを書くという作業から解放され、よりクリエイティブな全体設計やアイデアの実現にリソースを振れるようになりました。一つの技術を極めるプロフェッショナルの道も当然素晴らしいですが、これからはAIの力も借りながら、異なる技術スタックを縦横無尽に繋ぎ合わせて、誰も見たことがないシステムを生み出していく領域が圧倒的に面白くなります。
先ほどお話しした「点」と「線」のお話のように、一見バラバラに見える経験は、新しい技術と出会ったときに必ずつながりを持ちます。新しいツールが登場したら、まずは自分の遊び場に持ち込んでプロトタイプを作ってみる。そんな風に、AIと一緒に遊びながら領域を拡張していくマルチエンジニアは、今後もっとワクワクする仕事ができると確信しています。
――エンジニアを目指す方々に向けて、アドバイスやメッセージをお願いします。
池野:若手エンジニアの皆さんも、現場の「面倒くさい」を面白がって、興味を持ったらまずは飛びついて遊んでみてください。無駄に見える「点」を増やすことこそが、AI時代を生き抜く最強の生存戦略になります。
■おすすめの書籍
『モノを捨てよ、世界へ出よう』高城剛(宝島社)
池野:最も影響を受けた書籍は、高城剛氏の『LIFE PACKING』シリーズや『モノを捨てよ、世界へ出よう』です。30代後半でキャリアに迷っていた頃に読み、モノを減らすことで維持にかけていたリソースが解放され、圧倒的な行動力に変わるということに気づかされました。PCのメモリ解放と同じ理屈ですね。この本のおかげで、僕は収入ゼロの不安を抱えながらもフィリピン留学へ踏み切り、今のノマド生活を手に入れることができました。現状のキャリアや生き方に閉塞感を感じている方に、ぜひ読んでほしい一冊です。

