派遣就業ガイド

興味を大事に作り上げたキャリア
今も「やりたいこと」を追求している

「得意を伸ばす」や「幅広いスキルを身につける」など、キャリアを築くにあたって重視するポイントは人によって様々です。しかし中には、特定のキャリアプランや業種、会社に固執せず「その時に、自分がやりたいと思ったこと」を大切にして働き方を選ぶ人も。お話を伺った井内さんも、自分の興味を大事に、様々な職場でものづくりの経験を重ねてきたエンジニアのひとりです。

「面白い案件に出会ったら、その仕事がやりたくなってしまう」と話しながらも、その時々の職場で得た知識と経験をもとに、ユニークなキャリアを築いていった井内さん。今の派遣エンジニアの働き方を選んだ理由や、その魅力について伺いました。

「やりたい仕事」を指針にキャリアを構築した

——はじめに、井内さんの職歴を教えていただけますか。

国内外問わず、さまざまな会社で主に電子機器の設計開発を行ってきました。

大学卒業後に就職したのは、国内の大手電機メーカーです。半導体のチップセットを担当していたのですが、大学の頃から抱いていたマイクロプロセッサー(コンピューター等に内蔵されている、中核の処理機能を持つ半導体チップのこと)を開発する夢が捨てきれずに、3年で退職。

その後、マイクロプロセッサーを専門的に手掛けるベンチャー企業に転職しました。世界最大手の半導体メーカーで最初期のマイクロプロセッサー開発に携わったエンジニアが立ち上げたベンチャー企業で、自分もそんな環境で働きたいと思ったのです。入社したのは20代でしたが、その年齢から16bit、32bitのマイクロプロセッサーの設計・開発に携わることができました。

しかし、その会社がオリジナルの製品ではなく互換品を手掛けるような仕事が増え、違う製品開発を求めて海外へ行きました。

アメリカやドイツでデジタルカメラ専用のマイクロチップなどの開発を経験した後は、帰国後に前職でお世話になった上司に誘われて、情報関連機器メーカーのデザインセンターに入社。そこでマイクロプロセッサーの開発や、当時まだなかったドライブレコーダーの開発、監視カメラのデジタル化に取り組みました。しかし、残念ながら目標の売上を挙げられずにセンターが解散になってしまったのです。

センター自体は無くなってしまったのですが、その事業を引き継ぐために、私が代表になって仲間たちと会社を立ち上げました。ビジネスがすぐに軌道にのると思ったのですが、ビジネス環境の急激な変化に対応できず、事業の継続が難しくなり、最後は会社を譲渡することになりました。

——情報機器を中心に、その時々の環境や、ご自身の興味にあわせて仕事を選ばれてきたのですね。

そうかもしれません。どんな会社でも、ひとつの開発プロジェクトが終わったら、次に担当するのは「その製品のメンテナンス業務」になってしまいがちです。しかし私は、そういった保守業務にあまり興味を持てませんでした。かわりに、「こちらに面白い仕事がありますよ」と声をかけられると、ついついそちらに行ってしまいますよね(笑)。

仕事を選ぶときも、「自分のやりたい設計開発かどうか」を給料以上に意識してチェックしています。実際に過去に転職した際は、面接で「井内さんは、これまで好きな仕事ばかりやってきたのですね」「職務経歴書をみれば、一目瞭然ですよ」と言われたくらいです。

派遣で紹介された、自分にとっての天職

──そんな中、なぜ「派遣エンジニア」の働き方を選ばれたのでしょうか。

自分の興味に従ってさまざまな仕事をやってきたのですが、50代を超えてくると、以前のようにすぐには仕事が見つけられなくなってきたのです。

知人のつてなども模索してみましたが、みなさんご高齢になっていて、職探しは苦戦しました。そして探す範囲を広げていくうちに、派遣エンジニアという働き方にたどりつきました。

──派遣エンジニアを始めてからは、どんな仕事をされてきたのでしょうか。

パーソルクロステクノロジーのキャリアアドバイザー(以下、CA)さんに最初に紹介してもらったのが、新たな乳がん検査法の開発案件でした。

従来の乳がんの検査法は、圧迫板で乳房を挟んで撮影するというもので、受診者は非常に痛い思いをしながら検査を受けていました。しかし、就業先で開発しているのは超音波で体内を検査する機器で、痛みが一切ない、画期的な方法です。

私には、乳がんになって乳腺を全摘出している友人がいます。いつも明るく元気に振る舞っている方ですが、お酒が進むと「普段は気にならないけど、お風呂からあがって自分の姿を見ると、毎日涙が出てくる」と言うのです。

彼女のように悲しい思いを抱く人を少しでも減らしたい。 早期にガンが発見できれば、全摘出までいかなくても、部分切除で寛解させることができます。女性を助けるための仕事で、私の天職だと思いました。

業務に一生懸命取り組んでいたところ、声をかけられて3カ月後にはその会社に正社員として採用されました。

やりがいがある仕事なので満足していたのですが、経営がうまく行かず資金が底をついてしまい……。採用されてから1年も経たないうちにエンジニアは全員解雇され、私もまた職を探すことになってしまったのです。

──その後、就業先はすぐに見つかったのでしょうか。

私を担当してくれているCAさんから連絡をいただき、新しい案件を見つけてくれました。

次の就業先は、仕事は面白いものの会社のカルチャーが自分には合わず、長く働けなかったのですが……契約を延長しない旨を伝えると、CAさんがまた次の仕事をすぐに見つけてきてくれて。「この企業も井内さんにおすすめですから」と紹介してくれたのが、現在就業している半導体の商社です。

「もっと踏み込んでほしい」と業務を任せられる環境

——現在の就業先でご担当されている、お仕事について教えてください。

電子機器の開発にあたって、試作品の基盤設計から商品企画のコーディネートに至るまで、幅広い業務を任せてもらっています。

就業した当初は、農業関連に活用されている二酸化炭素の濃度を測定する小型センサや、非接触でさまざまな機器を操作できるセンサなどの基盤設計を行っていました。最近は、画期的なポータブル電源の企画を進めています。複数の企業との共同開発によるコラボ商材で、年内のデモ製品発表を目指しています。

——お仕事のやりがいは、どんなところに感じますか。

やはり、自分が提案したプランが形になる瞬間は何度経験しても嬉しいものです。直近では、取引先とコラボレーションで進める企画の立案を担当しました。

取引先に前向きになってもらえる企画を立ち上げようとしていたのですが、1週間かけてもなかなかよい案が思い浮かばず……。期限直前まで悩んでいたのですが、前日に「これだ!」というアイデアを思いつき、それまで描いていたプランを全て書き直してプレゼンテーションに臨みました。すると、提案先の会社から「ぜひ、うちもやりたい!」という賛同を得ることができたのです。

この機器は非常にコンパクトであらゆる製品で活用できます。商品化されれば、市場にとても大きなインパクトが与えられるはず。会社にとっても私にとっても、「夢が広がるシステム」なのです。

——派遣エンジニアとしての働き方は、いかがですか。

私は派遣エンジニアになる前から、自分の興味のある仕事ややりたい案件を選んでキャリアを積んできました。派遣エンジニアになっても、その志向のままで案件を選ぶことができるので、楽しんで仕事に取り組めています。

今の働き方で魅力的だと感じているのは、いろいろな商材と関わるチャンスが増えること。特に今の就業先は、世の中に出ていないものも含めて、これまで取り扱った経験がないような機器に関われますし、そういった「商材との出会い」の機会が絶えないことは、とても嬉しいですね。

一方で、派遣エンジニアであるがゆえに、就業先の仕事に対して「どこまで踏み込んで意見しても良いのか」に悩むことは増えました。正社員の頃は、必要以上の配慮はせず、自分の思ったことはしっかり伝えるようにしていました。しかし今の職場は就業して日も浅く、周囲の方々との関係も構築中ですので、ちょうどよい関わり方を探しているところです。

最近は、職場の上司も私の悩みを考慮して、「井内さん、どう思われますか」と、意見を発信する機会を増やしてくれるようになりました。アウトプットの機会も少しずつ増やせてきたのですが、上司に聞いてみると「もっと踏み込んでも大丈夫」と言われてしまって。満足せず、もう少しギアを上げいかなければいけませんね。

現役を続け、AIの研究をしている息子と仕事がしたい

——最後に、今後の目標を聞かせてください。

まずは、今取り組んでいるプロジェクトの商品化の実現です。これまで自分がさまざまな案件で培ってきた技術を活かして、関係各社が納得できるプロトタイプを年内には完成させたいですね。

もうひとつの目標は、次男と一緒に仕事を手掛けることです。

次男は、大手通信会社でAIの研究開発を行っています。高校生の頃は自分の目標や夢を持てずに悩んでいたのですが、彼がソフトウエアに興味を持ったのは「パソコンを使えるようになっておこう」と私が勧めたのがきっかけでした。どんな仕事でも使うのだから、学生のうちから詳しくなっておけば将来間違いなく役に立つだろう、と思ったのです。

完成品を買い与えることも考えたのですが、結局その時に選んだのは、ばらばらのパーツを購入して組み立てる「自作パソコン」。私も組み立てを手伝いながら、より深くパソコンを学んでもらおうとしたのです。それがきっかけでパソコンに興味を持った次男は、その後もソフトウエアの勉強を続け、すぐに私を追い越してしまいました。

次男の専門はソフトウエアですが、ソフトを動かすにはハードウエアが必要ですよね。ハードウエアは、私が社会人生活を通してずっと携わってきた専門分野。この後も現役で働き続ければ、いずれは一緒に仕事をするチャンスがめぐってくると思っています。その日がくるまで、第一線で活躍し続けたいですね。

文=西谷忠和/写真=舛元清香/編集=伊藤 駿(ノオト)