「プログラマを一生の仕事にできるビジネスモデル」を標榜し、代表取締役として会社の運営に携わりながら、現在もプログラムを書き続けているエンジニアがいます。それは、株式会社ソニックガーデンの倉貫義人さんです。
同社は、SI系の企業では当たり前である「一括請負型の受託開発」ではなく、「納品のない受託開発」という新たなビジネスモデルを採用しています。これは、月額定額制で受託を行い、必要な機能を必要な順番に開発することで、顧客に提供する価値を最大限にするというもの。この手法にも、倉貫さんの意向が反映されているといいます。
倉貫さんはどのようにして、エンジニアとして理想のキャリア、そして理想の開発手法を実現できたのでしょうか?その背景には、彼の持つ“マインド”が大きく影響していたのです。
大手SI企業時代に直面した「プロジェクト遅延のしわ寄せが実装フェーズに来る」という課題。その解決策となる“アジャイル開発”の発見
―ソニックガーデンでは、「納品のない受託開発」を実現するために、受託開発を行っている企業としては珍しく「アジャイル開発」を導入しています。これには倉貫さんの意向が強く影響しているそうですが、そもそも、どういうきっかけで倉貫さんはアジャイル開発に興味を持ち始めたのでしょうか?
倉貫:そのきっかけは、私が新卒で入社した国内大手SI企業で採用されていた開発手法に対して、ある“課題”を感じたことにあります。
ほとんどのSI企業がそうであるように、その会社では「ウォーターフォール開発」という「システム全体を統括して管理し、要件定義・設計・実装・テスト・運用を順に実施していく」開発手法を採用していました。この開発手法は、ドキュメントが確実に残り、工程と対応する成果物が明確で進捗を管理しやすいといった利点はあるのですが、大きな欠点も持っていまして。
―その欠点とは、どのようなものでしょうか?
倉貫:仕様が変更になったときに、膨大な手戻りが発生してしまうということです。この開発手法は、前工程が完了しなければ次の工程に進むことができないため、要件定義や設計に時間がかかりすぎた場合にはコーディングやテストのフェーズにプロジェクト遅延のしわ寄せが来てしまうんです。
あるプロジェクトなんて、動くものを作る期間が、プロジェクト全体の4分の1しかないという状況が発生したこともありました。「この開発手法では、きっと上手くいかない」と感じていましたね。
―そう考えていた頃に、アジャイル開発に出会ったと。
倉貫:その通りです。この開発手法は、初めから厳密な要件定義は行わず、おおよその仕様を元に細かい単位での「実装→テスト実行」を繰り返して開発を少しずつ進めていくというものです。
これが、私の頭の中に描いていた理想の開発手法に近かったこともあり、「ウォーターフォール開発の抱えていた欠点をきっと解決してくれる」と信じて勉強を始めました。
「社内で勉強会を開いても、誰も来なかった」アジャイル開発普及に立ちはだかった、高い“社内文化”の壁
▲「全員がフラットな立場の組織」を目指すソニックガーデンでは、社員同士が積極的に意見交換を行っている。代表取締役である倉貫さん自身がプログラミングに関してアドバイスをする光景は、まさに同社ならではだ。
―その後、社内でアジャイル開発を導入するように働きかけたのですか?
倉貫:はい。ですが、初めは上手くいきませんでした。何人もの上司に話をしに行ったのですが、全然理解してもらえなくって(笑)。開発手法としてまだメジャーでなかった時代なので、仕方のないことではあるのですが。社内で勉強会を開いても、誰も来ないような状況だったんです。
―アジャイル開発導入への道のりは、かなり険しかったのですね……。
倉貫:そうなんです。だから、「社内で広めるのは、ちょっと厳しそうだ」と思い、初めのステップとして社外の勉強会に潜り込んで発表するようになりました。当時はアジャイル開発の勉強会に参加する人は本当に珍しかったですが、地道に活動を続けていったんです。結果的にはそれが良い方向に作用して。
「ウォーターフォールを主流とする大手SI企業に所属しながら、アジャイル開発の勉強会に積極的に参加・発表している人がいる」というのは結構インパクトが大きかったようで、まず社外から注目されるようになり、その後に社内でも評価されるようになりました。
―まず社外から注目されるというのは、非常にユニークですね。その後はどうなったのでしょうか?
倉貫:そうした活動が認められ、社内で初めてR&D(Research and development:研究開発)の部門を作るという話になったときに、私は創業メンバーに任命されました。そこでは自分のチームを持たせてもらえるようになったので、思いきってアジャイル開発を導入して。それが上手く機能したことで、その開発手法を社内に少しずつアピールすることができたんです。
チームを守るには、収益化するしかない。その想いがソニックガーデンという会社を作りあげた
▲新しいビジネスモデルである「納品のない受託開発」や、社員全員に「リモートワーク」を許可する業務形態が評価され、ソニックガーデンは船井財団「グレートカンパニーアワード2016」にて“ユニークビジネスモデル賞”を受賞している。
倉貫:実は、そのチームで社内SNSの開発を行ったことが、ソニックガーデンという会社を設立するきっかけとなっているんですよ。
―えっ!?その話、ぜひ聞かせてほしいです。
倉貫:ある社内SNSを、当時ビジネスベースでは使われていなかったRubyという言語を使って開発したんです。製品の評判がなかなか良かったので、次に「そのSNSをオープンソース化し、それをベースとしたビジネスで収益化を図る」ということを実現しようと思って、事業計画書を書いて新規事業として経営層に提案しました。
―なぜ、収益化しようと思ったのですか?
倉貫:R&Dの部署は、特定の受託案件に携わっていないため、会社の売り上げには貢献していません。だからこそ、受託案件が忙しくなると、その案件にR&Dのメンバーが大量に引き抜かれてしまうことがよくあったんです。そうなってしまうと、せっかく作りあげたチームの文化がリセットされてしまいます。それをなんとかして防ぎたいと考えました。収益を上げていれば、そういうケースは無くなるだろうと思って。
―倉貫さんの考える「良いエンジニア文化」。それを守りたかったのですね。
倉貫:社内のある役員からは「オープンソース化なんて絶対に上手くいかない」と大反対されたりもしましたけど、根気強く説得し続けていくことで、最終的には認めてもらうことができました。
そのプロジェクトは、社内ベンチャーとして事業を開始することになり、収益化の見込みが立った後にMBO(Management buy out:経営陣による事業の買い取り)によって独立しました。それがソニックガーデンという会社になったんです。
倉貫さんのキャリアを形成してきたのは、自分が良いと思うものを“信じて”、“発信し続ける”姿勢
―倉貫さんのように、エンジニアが自身の思う「良いシステム開発」や「理想のキャリアプラン」を実現するためには、どのようなマインドが重要だと思いますか?
倉貫:「業界において主流となる技術がどのようにシフトするかを予測し、次に主流となるものを時代に先んじて学んでおくこと」は大切だと思います。
私の場合は、アジャイル開発がまだ主流でなかった当時に「これで勝負しよう」と思ってやってきましたし、Rubyという言語がビジネスベースでは使われていなかった頃から「きっと、この言語はもっとメジャーになる」と信じて使ってきました。
他の人が既にやっていることに追随しても、その分野で勝つのは難しいです。だからこそ、人がやっていないことに目をつけて、いち早くその分野を究めることが、エンジニアとして長く生きていくためには必要なことなのではないでしょうか。
そしてもう1つ大切なのは、「発信し続けること」です。
私も最初は、どれだけ自分の考えを発信しても全く相手にされませんでした。でも、社内外で情報を発信し続けることによって、自分の考えに共感してくれる人が集まってくれたんです。そのおかげで、自分のやりたいことを実現できています。
自分のやりたいことが明確にある人は、ただ思うだけではなく、それを発信する。それが、実現への近道になっていくと思うんです。
想いを発信する力が、エンジニアファーストな企業文化を実現した
たとえ社内の賛同を得られなかったとしても、信念を曲げずに活動を続け、会社を設立するまでに至った倉貫さん。その成功の裏には、自身が良いと思うものを信じ、発信し続ける意思の強さがありました。
「本当はプログラムが書きたいのに、実現できていない」
「もっと違ったキャリア形成をしてみたい」
そういった悩みを抱えるエンジニアは、まずは「発信してみること」が、より良い未来を実現するきっかけになるのではないでしょうか。倉貫さんの後ろ姿は、そう教えてくれています。
取材協力:株式会社ソニックガーデン