名車カタナを今に。古き良きバイクを甦らせた、ユニコーンジャパンの技術者の魂

1981年、あるバイクが市場に姿を現しました。その名は、スズキ・GSX1100S KATANA、通称カタナ。アイコニックなフロントフェイスのデザイン。車体後部へと連なる、優美なボディライン。そして1100ccという、当時、最大クラスの排気量を誇るエンジンを搭載したモンスターマシン・カタナは、登場するや、瞬く間にバイクファンを虜にし、登場から30年以上が経過した今も、根強いファンが世界中に存在します。

現在、横浜市に店舗を構えるバイクショップ、ユニコーンジャパンの代表、池田隆さんも、カタナに激しい衝撃を受けた1人です。その衝撃は、池田さんのエンジニア・技術者としてのキャリアにも大きく影響を与えました。やがては、カタナの正常進化版を、自らの手で作り出してしまう程に、です。

バイク整備、カスタムパーツの設計・開発といった分野をメインに手がけていたエンジニアが、ある1つのプロダクトに出会い、惚れ込み、そしてそれに対峙し続ける。もの作りに全てをかけた1人のエンジニアのストーリーを伺いました。

それはiPhoneの登場にも等しい出来事だった

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ー池田さんのエンジニアとしてのキャリアはいつ始まったのでしょうか。

池田:キャリア、という意味では小学校5年生頃からでしょうか(笑)。当時、家の近くにバイクや自転車の小さな販売店があって、そこで整備なんかのバイトをさせてもらっていたんです。今では考えられませんが。

ユニコーンジャパンは昨年で開業30周年を迎えましたが、この店を立ち上げる前は、スズキの販売会社で技術者をしていたんです。さらにその前は、今言ったようにアルバイトで。ですからキャリアとしては45年ほどでしょうか。

ー小学生の頃から!であれば、池田さんにとって、技術者として生きていく、という選択肢は、もう必然だったと。

池田:若い頃から、いつか自分のバイクショップを持ちたいと思っていましたし、その前段階として、スズキに入りたいと思っていました。そういったキャリアを逆算して、兵庫県で最もレベルの高い工業系の学校を卒業したんです。当時、この高校を出ておけば、ニコンでもNISSANでも就職先は選びたい放題、という学校だったんですよ。

ー非常に建設的な高校生ですね(笑)。では、カタナの存在はいつ知ったのでしょうか。81年の発表当時は、すでにスズキに在籍されていたんですか。

池田:私がスズキに入社したのは、まさにカタナの発表前後です。当時は一番下っ端でしたから、発表前にその存在を知っている、なんていうことはありません。知ったのは世のバイクファンと同じタイミングです。その登場は、それは衝撃的でしたよ。一目惚れしてしまった。

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▲オリジナルのカタナ(一部カスタムあり)の姿がこれだ。日本刀をモチーフにデザインされたその車体は、従来のバイクデザインの文法を覆すようなインパクトをバイクファン、そして業界関係者に与えた。初めてその姿が公開されたのは、80年、ドイツ・ケルンで開催されたモーターサイクルショーのこと。バイク業界内では、このカタナの登場を「ケルンの衝撃」とも表現する。

ーカタナの何がそんなに衝撃的だったのでしょうか。

池田:私が思うに、バイクのデザインにディティールという概念を初めて取り入れたのがカタナだったんです。今でこそ、バイクのデザインには様々なバリエーションがありますが、当時のバイクデザインと言ったら、丸いヘッドライトに、丸いタンク、シートはただの"座る場所"という具合に、決まったパターンがほとんどでした。

しかし、カタナのデザインを見て下さい。エッジ感のある、尖ったフロントから、流れるようにタンクが続き、シートの後端まで美しいラインがあります。それまでのバイクとは、デザインの文脈がまるで違う。例えるなら、ダイヤル式の電話が当たり前の頃に、突如iPhoneが登場したようなものです。それだけ衝撃的な出来事だったんです。

若くして独立し、起業。カタナに導かれるようにエンジニアの道を走る

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▲神奈川県横浜市にある、現在のユニコーンジャパンの店内。最初の店舗は神戸市に1985年にオープンした。

ー現在のお店の前身となる、神戸ユニコーンを神戸市に設立されたのは、85年のことと伺っていますが。

池田:ええ。ですからスズキに在籍したのは、高校卒業後の4〜5年でしょうか。必要な技術や資格を習得できたので、かねてから目標にしていた、自分のお店を出したんです。23歳の時でした。

ー当時、もちろんカタナを商材として扱っていたのでしょうか。

池田:自分でも乗っていましたよ。ただ、ちょっと説明しないといけないのは、当時の日本市場ではメーカーの自主規制があり、排気量750cc以上のバイクは販売できなかったんです。一方カタナは1100cc。ですから国内の正規販売店で購入できるのは、排気量を750ccに抑えたいわゆる"日本国内仕様"です。

ですからオリジナルの1100ccモデルを買おうと思ったら、商社を通じて逆輸入しないといけませんでした。ちなみに当時の販売価格は175万円。一般的な若者の給料が手取り10万円程度の時代ですから、フェラーリ以上の価値でしょう(笑)。しかも、スズキの正規販売ラインから外れているので、交換部品も商社を通じて発注しないといけない。ちょっとしたものでも、専用部品が手元に届くのを、発注から何ヶ月も待たなければなりませんでした。

ーユニコーンオリジナルのカスタムパーツを手がけるようになったのはいつ頃からなのでしょうか。

池田:神戸ユニコーンを起業した当初から、オリジナルパーツの開発から販売は行っていましたね。一番最初に作ったのはスタビライザーという、走行安定性を高めるためのパーツでした。自分自身が一番のカタナユーザーです。だからこそ、カタナに足りない部分を補う、もっと良くするためのパーツを模索して、設計して作る。試しに当時雑誌に通販の広告を打ったら、あっという間に完売です。日本中のカタナファンが、自分と同じ課題を感じているのだなと実感しましたよ。

ーその後エンジン系など、パワーに関するパーツにも着手していかれたのですか。

池田:毎年いくつもパーツを作ってはリリースしていますから、パワー系のパーツまで開発を広げるのに、そんなに時間はかかりませんでした。しかし、私のパーツ開発のアプローチは、まずはしっかりとした強度を持つ車体やサスペンションを作り、そこからエンジンのパワーアップを狙う、というものです。エンジンのパワーだけが上がっても、それを支える車体がないと、バイクはきちんと走らない。

仮に、81年生まれのカタナに、圧倒的なパワーを誇る現代のエンジンを搭載したとしましょう。果たしてそれはまともに走るバイクになるのか。答えはNOです。まともに走らせるためには、相当の手間と時間とお金をかけて、車体を強化しないといけない。であれば、発想を変えて、現代のモデルをベースにカタナを作ってみよう。これが私が開発したGSX1400S KATANAの背景にあるものです。

1981年生まれのデザインを、21世紀に生まれたバイクに宿す

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▲ユニコーンジャパンが開発したGSX1400S KATANA。オリジナルのカタナが持つ美しいフォルムやディティールを、一切損なうことなく現代的なバイクに宿す。

ーカタナは81年のバイク。一方、GSX1400S KATANAのベースとなっているスズキ・GSX1400は、2001年に発表されたモデルです。なぜこの車両をベースとして選んだのでしょうか。

池田:開発にあたっては、まずコンセプトを設定しました。GSX1400S KATANAのコンセプトは、大人が楽しめるゆとりのツーリングバイクです。GSX1400のエンジンはまさにゆとりを持って楽しめる、懐の深さがありました。

そして、このエンジンには、オリジナルのカタナのDNAが刻まれている。エンジン開発者に直接聞いたことがありますが、エンジンの造形はそもそもオリジナルのカタナがモチーフの1つになっているそうです。エンジンのテイスト、そしてDNAの両面でGSX1400は私が思い描く、大人が乗るべき今のカタナの姿に相応しかったのです。

ーDNAは受け継がれているとはいえ、開発に20年の隔たりがあるカタナとGSX1400を融合させるのは簡単ではないですよね。

池田:GSX1400S KATANAに搭載されているカウル(フロントフェイス部分の外装パーツ)やタンクなど、すべて一から設計したものです。オリジナルのカタナと、GSX1400ではフレームから何から全てが違います。オリジナルの外装を加工して付けられる、というレベルの差ではありません。かなりの開発費を投じて、ただのルックスの再現でなく、機能性を併せ持ったものとして、徹底的にフィッティングと実走行テストを行いました。

人によっては、「ただカタナの外装を載せただけだろ」と思うかも知れません。しかし、機能を損なうことなく、またオリジナルの美しさを破綻させることなく…、いや、見る人に訴えかけるデザインを再現するのはそう簡単ではありません。「できるものならやってみろ」という心境です(笑)。

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画像出典:wikipedia

▲こちらがベース車両となったGSX1400。上のGSX1400S KATANAと比較すると、そのフォルムが圧倒的に異なるのが見て取れる。

ー例えるなら、小さい丸い穴に大きい四角い箱をはめる、というイメージでしょうか。それでいて、デザインに強引さがなく、破綻がない。こうした自然なデザインを実現できたのはなぜでしょうか。

池田:これまで、1万台以上のカタナに仕事を通じて触れてきました。だからこそ、カタナの姿を構成する要素は目に焼き付いている。そして1400の前に、イナズマ1200というバイクをベースに、GSX1200S KATANAというモデルを開発したことも無関係ではありません。

1200の場合は、外装部品はオリジナルのカタナのものをベースに加工して作りましたが、ここで得られた構築のノウハウが1400にも投じられています。基礎となった1200の開発の際は、全てのパーツをミリ単位で調整しました。こっちを動かしたら、こっちも調整するという、果てしないバランス調整です。しかも、操縦安定性なども担保しなければなりません。

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▲GSX1400S KATANAのステップ部分。このパーツの設計にあたっては100枚以上の図面を引き、ミリ単位での調整を繰り返したと池田さんは言う。

ー気の遠くなるような作業ですね。オリジナルのカタナに触れ続けた、そして1200という段階を通じて、1400に至った。GSX1400S KATANAは池田さんにとって、エンジニアとしての集大成のようなものなのですね。

池田:いやいや、まだまだです(笑)。

エンジニアは、終わらない夢を見る

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ーこれでもまだ満足しないと(笑)。

池田:先達から技術やアイデアを受け継ぐ。私にしても、オリジナルのカタナを設計した偉大な技術者から、受け継いだものがあるから今があります。しかし、技術者という人間はそこで終わってはいけない。受け継いだものを咀嚼して、そこに自分のアイデアや技術を加えて、アップデートしなければならない。GSX1400S KATANAは、確かにアップデートの末の産物です。しかし、それでもまだ、その次がある。

ー技術者の性(さが)のようなものを感じます。

池田:技術者という生き物は、何かを作り上げたら、すぐに"次"です。私が尊敬する横内さん(横内悦夫氏:元スズキ株式会社2輪設計部長。オリジナルのカタナの開発者でもある)という技術者も言っています。「山を登り切ったら、その上にはどこまでも青い空が広がっている」と。

私も、何か1つを作り上げて満足できるのであれば、1200を完成させた時点で終わりです。決して1400を開発しようとは思わなかったはずです。しかし、作り終えた時点で、その技術はすでに既存技術です。そうではなく、飽くことなく"次"を求め続けたい。

ー池田さんにとって、技術者としての喜びとはなんでしょうか。

池田:キャリアの全て。全てが喜びじゃないでしょうか。小学校3年生の頃にはすでに自転車をバラして組み立てられるようになってましたし、中学生のときには、お風呂が溜まったら知らせるブザーを作って、ずいぶん母親に喜ばれたものです(笑)。そしてバイク。自分にとって何かを作るということ自体が喜びです。そして私はカタナというバイクに出会い、それに技術者として向かい合って生きることができた。これ以上の幸せはありませんよ。むしろ、何かを作っていない時間の方が短く、私にとっては不自然かも知れません(笑)。

惚れ込んだプロダクトに技術を捧げる喜び

口調こそ穏やかながら、長いキャリアに裏打ちされた池田さんの言葉には、真摯に1つのことに打ち込んできたからこそ生まれ得る説得力があります。作る喜びを誰よりも貪欲に追求し、技術をもってチャレンジし続ける。そこには紛れもないクリエイティビティが存在します。そして、その喜びに伴走するのは"惚れ抜いた"プロダクト。

「カタナは自分にとって仕事であり、生き様でもある」池田さんはそう語ります。「これだ」と思えるプロダクトをアプデートさせ続ける。そこには、技術者という職業を選んだ人だけが感じ得る喜びがあるのではないでしょうか。

取材協力:株式会社ユニコーンジャパン
神奈川県横浜市金沢区福浦2-13-21
Tel. 045-786-0972

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