突然のハッカソン出場が作り手魂に火を付けた!?UPQ代表 中澤優子が家電ベンチャーを立ち上げるまで【後編】

設立からわずか2か月というスピードで24アイテムの家電・家具をリリースした、国内発の家電ブランドUPQ(アップ・キュー)。その中心で企画〜コンセプトメイキング〜開発までを指揮するのが代表の中澤優子さん。

そもそもカシオ計算機で数々の携帯電話の商品企画を担当、その後退職され、秋葉原にてカフェ経営をしながらハッカソンに出場するなど大変興味深い経歴をお持ちです。

2015年8月には、国内では数少ない家電のスタートアップを設立。今回は起業に至るまでの経緯からモノづくりにかける思いまで、インタビューの後編をお届けします。

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カシオ時代に築いたエンジニアとの組織づくり。家電ベンチャー UPQ代表 中澤優子のチーム論【前編】

「製品より先にカタログを作ってゴールを明確に!」中澤さんのハッカソン攻略法

—カシオを退職されてご自身で起業するまでの経緯をお伺いします。まず、2014年9月にau未来研究所のハッカソンに参加されていますが、それがきっかけで、今や協力関係にあるCerevo代表・岩佐琢磨さんと出会われたとのことですが、その経緯をお教えください。

中澤:偶然でしたね。カシオ退職後、私は秋葉原でカフェを経営していたんです。そこで、ある日「Engadget」でケータイの記事を中心に書いてくださっていた方にたまたま来店いただきました。そのときに「モノづくりもうやらないの?」と問われたことがそもそものきっかけですね。

今度開催するハッカソンのテーマが「食×スマホの次のプロダクト」だから中澤優子にちょうどいいんじゃないか、ということを言われました。開催が土日で、週末はめちゃくちゃカフェのかき入れ時なんですけど、たまにはいいか、という気持ちで最初はフラっと行ってみたんですよ。

—そんな気軽な感覚でですか?

中澤:そうです。当時は「ハッカソン」が何かも知らなかったので、何だろうなと思いながら。私そもそも、機械をいじれるわけではないので、そこに行ってなんかやれることがあるの?と思って行ったら、まあいろいろあると。デザインは描けないし、本当に企画やコンセプトづくりしかできないけど大丈夫ですかと尋ねたら、プロマネ・商品企画ができればいいと話をされました。

初日でみんなで出したアイディアをブラッシュアップし、2週間後に提出という流れで、とりあえずその期間だけ走ってみようかと思い、猛ダッシュでいろいろ作りました。そこでまず私の思いとして、はじめに製品の“ブランド”を決めたんです。

コンセプトシートを作って、先に製品カタログを作ったんですよ。カタログに合わせてハードが出来上がっていくっていう逆の手順でしたが(笑)

目的としてはチームの意思統一ですね。ハッカソンではいろんな人が集まっているので、そこでイニシアティブを取ろうという人もいれば、譲り合いをしてる人もいるし、そのままだと何だかよく分からないモノができてしまうので、みんなが寝てるうちに私が完成イメージとして“カタログ”を作ったんです。

ロゴとかネーミングの商標もきっちり確認取りましたよ。完全に悪ノリでしたね(笑)

—そうして完成したのが、IoT弁当箱「X Ben(エックス・ベン)」ですね。

中澤:はい。でもそのとき作ったものって、中にKonashiやArduinoなどのデバイスがガツっと入っていて、配線もぐにゃぐにゃと絡まっていたりして、到底お弁当箱に見えないんですよ。なので、イベント終了後それを実用に耐え得る設計をしてみたいな、とつぶやいたら、メンバーの皆もかなり乗り気で。ここからは趣味の範囲でできるからやってみようというのでスタートしました。

進めるうちに、作ったものをコンテストに出品して賞金を制作費にあてようと考え、ハードウェアコンテストとかに何回か出したんですね。

後に2014年12月、経産省の「フロンティアメイカーズ育成事業」に採択されることになり、そこでメンタリングしてくれる方の中で、Cerevoの岩佐琢磨さんやDMM.makeの小笠原治さんと出会いました。でも当時は、私はその1人たりとも名前を知らなかったので、最初はググって調べてました(笑)

独自の見せ方・言い方・価格帯の取り方を工夫して、UPQでは今までと違ったインパクトを与えたい

—そのときのゼロからのモノづくりって、今のUPQさんの基礎になっていたりしますか?

中澤:それでいうとスタンスが全然違っていますね。私は元々メーカーにいて、あるときからモノが作れないという苦しい時代を経験し、こういう世の中がいつ変わるのか、当時カフェで働きながら2、3年いろいろ観察はしていたんですよ。

それで、あ、ちょっと世の中が変わったんだな。電子工作っていう言葉も出てきて、ハッカソンっていうのが始まって、行ってみたらこんなことができるっていうのを実感したのが、その「X Ben」の製作でした。モノづくりの基礎というより、まだほんのきっかけに過ぎません。

—では、その後起業するまでにはどのような経緯があったのでしょうか?

中澤:引き続き、経産省の「フロンティアメイカーズ」でX Benを作っていて、2015年8月に初めて「メーカーフェア」に出品しました。その際に製品をプレゼンする機会もあったりして。

その時に、X Benはハッカソンから始まって商品化を目指した流れがあるけど、それとは別にものづくりをしたいという思いが湧き上がってきました。そもそも大手メーカーで私が作りたかったスマホはまだ作れていなかったので。

例えば、携帯電話は年間100機種くらい出るけど、そこでどう知恵を絞って作ればユーザーに面白いといってもらえるか、そこで勝負がしたかったんですよね。

—既存のカテゴリーの中で、アイディアやコンセプトで勝負をするということですね。

中澤:そうですね。ここでUPQの話になるんですけど、今出してるテレビやディスプレイ、カメラには必ず競合他社がいます。昔から存在するコンシューマー製品が多いんです。

その中で、カラーやデザインの見せ方だったり、コンセプトワードの言い方だったり、価格帯のバランスの取り方を工夫することで、何か今までと違った新しい商品というインパクトを与える。そうしたことがやりたかったんですよね。

まずユーザーにどう見られるかをゴールとして、商品を通したコミュニケーションの部分にコミットするということです。そのゴールを守るためには、既存の製品からいろんなところを変えられるかもしれないし、変えちゃいけない部分があるかもしれないという考え方ですね。

課題解決への最善策を確実に選ぶ!チームでのモノづくりに必要な中澤さんのルールとは?

—そんな新たな道を切り開く中で、仕事をする時の自分なりのルールや、またはその発想を蓄積させておくネタ帳などはありますか?

中澤:自分の考えを書きとめることはまずないですね。多分、私のメモリーは割りと広いんですよ(笑)。発想のポリシーとしては、ものを作る時に「買った人がその製品を、人に自慢できるか」ということは想像します。話を聞いた人がすごく嫌な顔して聞かなきゃいけない自慢話はダメで、言わなくても「何これすごい」と言われるようなモノになれるよう繰り返して考えます。

また、ものを作る上では前述の通り一貫して必ずブレない軸はあるので、最短・最善の解決ルートを選択するようにはしています。なので悩むことはありませんね。あまり明日に延ばすようなことなくて、たとえ問題が起きてしまっても、事実把握をして方向転換も含めてすぐ動き出します。手法はその場でいろいろ変えています。

軸は同じでも、その時何が大事かという目的を常に明確に示さないと、チームが迷わずに仕事ができません。課題解決への最善策を確実に選び続け、たとえ失敗しても次リカバリーすれば、その後最短距離を選べると思っていますし、チームにもそのメッセージは伝えています。

—今回はUPQ設立以前のお話を中心に、モノづくりに対する中澤さんの終始一貫した考え方を知ることができ、とても勉強になりました。本日は貴重なお時間をありがとうございました。

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カシオ時代に築いたエンジニアとの組織づくり。家電ベンチャー UPQ代表 中澤優子のチーム論【前編】

中澤 優子さん
株式会社UPQ代表取締役

1984年生まれ。大学卒業後、カシオ計算機株式会社にて営業部を経て携帯電話の商品企画を担当。2012年に同社退職。翌年、秋葉原にカフェをオープン。2014年にはハッカソンにてIoT弁当箱「X Ben」を企画・製作し、経産省フロンティアメイカーズ育成事業に採択。2015年7月、株式会社UPQ(アップ・キュー)を設立し、代表取締役に就任。

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