普段は会社員として企業に勤めながら、インターネットを通した個人的な活動が多くの人の目にとまり、本業とは別に活躍の場を広げていく人が増えています。
会社員でありライターの岡田悠さんもそのひとり。
普段は会計ソフトを提供しているfreee株式会社で働きながら、旅行記やユニークなチャレンジを書く、ライターとしても活躍している岡田さん。友人がZoomで結婚式をあげてくれた話やGoogleマップと連携したエアロバイクで日本縦断に挑む様子は、ネットだけでなくテレビ番組でも取り上げられるほど話題になりました。
近年では、岡田さんのように、会社員でありながら個人的な活動を通して注目を集める人、または注目を集めようとブログやSNSを通して発信を行う人が増えています。しかし、結局は普段の仕事に圧迫されてもうひとつの活動に注力できず、うまくいかないことも多い様子……。
ただでさえ、手間と時間のかかるライターの仕事です。岡田さんはどんなキャリアを歩んで、「働きながら書く」という現在にたどりついたのでしょうか。そこには「全ての無駄がなくなったとき、自分は何をしているのか」という、ひとつの問いがありました。
大学時代の「全く予定通りに行かないモロッコ滞在」が病みつきに
――岡田さんのキャリアについて、学生時代からお聞きできればと思います。所属していた旅行サークル「太平洋倶楽部」について書かれたnote(「かつて部室で見かけた100年前の旅行記を追い求めて」)も拝見しまして……。
ありがとうございます。学生時代は長期休みのたびに2カ月くらい海外に出かけていましたね。そのころから旅行記をmixiに書いていて、友だちに読んでもらっていました。
――旅行にハマったきっかけは、なんだったのでしょうか。
初めてひとりで海外に行ったモロッコですね。バックパッカーにずっと憧れていたんですが、到着して2日目で荷物を盗まれて、バックパッカーですらなくなってしまったんです。ただの手ぶらの人になってしまって。
でも、そこで現地の親切な人に助けられて、1カ月くらいその人の家で過ごしたんですよ。薪割りしたり、水くみしたり、ラバの世話をしたり。で、「こんなに予定通りにいかないものか……!」と。
本当はいろんな国を巡るはずだったのに、思ってもみない1カ月になった。その印象が強烈で、帰国後はしばらくボーッと過ごしていたくらいで……。予定調和ではいかない、偶発性の高いところに身を置くことが病みつきになってしまいました。頻繁に旅行に行くようになって2回留年してしまい、結局6年かけて卒業することになるんですが。
▲旅行先のモロッコでカタツムリを食べている岡田さん
――卒業後の進路はどうされたのでしょうか。
外資系証券会社の投資銀行部門に就職して、M&Aアドバイザリーに携わっていました。
商学部だったこともあり「資本主義の局地を見てみたい」という気持ちで志望したんですが、ものすごい激務でしたね。どんなに遅い時間に帰っても翌日9時には出社できるように、家ではスーツを着て玄関で寝るくらいで。
――過酷な日々ですね……。
トイレ休憩以外ずっとPCにかじりついていたので、足に血流が回らず、右足が動かなくなったことがありますよ。びっくりして病院で診てもらったら、エコノミークラス症候群になっちゃたんですよね。飛行機じゃなくて、オフィスにいるだけなのに……。
これはやはり向いてないなと結局1年も経たずに辞めて、兵庫の実家に戻りました。心身ともに完全に弱り切っていたので、ちょっと休もうと。
――それはそうですよ。右足が動かなくなったりしてるわけですから。
ホントそうですよね……。その時はもう、ただただ何もやる気がなくなってしまって、堕落した生活を送っていました。気が向いたときに家業を手伝う以外は、ずっと布団にこもってインターネットを見て。たまにNAVERまとめでお小遣いを稼いだりして。
――家業はなにをされていたんですか?
街の小さな塾を経営していたり、イノシシ肉の卸売りをしていたり……。昔はお好み焼き屋もやっていたし、小さい仕事を作ってはやめてって感じなんです。かっこよく言えば「シリアルアントレプレナー」ですね。
▲freee株式会社プロダクトマネージャー/ライターの岡田悠さん(取材はZoomで行いました)
このころ、まだ先のことを考える余裕はなかったんですが、そんな家業の様子を見て育ったので「会社員じゃなくなったけど、なんとか生きていけるだろう」と思うことができました。
――当時も書くことは続けていたんですか?
Facebookにめちゃくちゃ長文の日記を書いていました。基本的に引きこもっているから何も内容はなく、「コンビニに納豆を買いに行く」ってだけで3000字くらい書いたりして、友だちから「長い」って苦情を言われてましたね。
イノシシ肉の会計処理がきっかけで、freeeに転職
――ご実家ではどれくらい休養されていたのでしょうか?
1年半くらいかけて、そろそろ働こうかなと思えるくらいにまでなりました。でも、もう同じ業界で働くのは無理で、雇ってくれるならベンチャーかな、と思っていたんです。
そんなとき、イノシシ肉の会計処理方法を調べていたら、freeeのブログに行き当たって。そこで初めてfreeeのことを知りました。これは面白いなと思って、連絡を取って。
――イノシシ肉がきっかけでfreeeに入ったということに……?
そうなりますね。やっぱりイノシシよりインターネットのほうがイケてるかなと思って……。
当時のfreeeはまだ社員20人くらいで、ほとんどエンジニアでした。僕はエンジニア経験がないので、なんでもやりますよって感じで面接に行ったんです。そこで代表の佐々木に会って、「なんだこの人は……?」と。なに言ってるか全然わからないんですよ。
――それって就職先としてはマイナスになりませんか……?
いえ、逆に底知れぬものを感じたんですよ。
スタートアップって、社長の器で決まるところも大きいじゃないですか。「この人すごいな」と感じる社長もいますけど、むしろ僕ごときに「すごい」ことがわかるようじゃダメなんじゃないかと思うんです。だから、すごいのかどうかわからない社長の会社に行こうと。話についていくのに必死でしたけど。
▲freeeでのお仕事の様子。写真は同僚の方と
――入社後はどのようなお仕事を?
マーケティングが本業で、並行してカスタマーサポートやバックオフィス業務もやっていました。給与計算とか、インフルエンザ予防接種の手配とか、何でも屋状態でしたね。
Webマーケティングは未経験だったので、入門書を10冊買って勉強から始めました。そのあと事業戦略的なポジションに異動して、より抽象度の高いマネジメント業務を1年ほど担当しました。でも、プロダクトやサービスについて考えるほうが面白かったんです。現場に行きたいという希望を出し、3年ほど前にプロダクトマネジャーに転向して、今に至ります。
――エンジニア経験がないまま、開発サイドと仕事をするのは大変ではなかったですか。
そもそもfreeeに入ってから全てが未経験でしたし、どんな分野も売れている専門書をAmazonで上から10冊読めば土台はなんとかなります(笑)。自分がエンジニアと考えたものがサービスとして世に出て、ユーザーに使われて、フィードバックがくるというのは、やっぱり手触り感があって楽しいなと。
――エンジニアとのやり取りで、心がけていることはありますか?
目指す地点を共有するために、プロダクトのビジョンや世界観をエンジニアに語りかけるようにしています。一回言うだけでは腑に落ちないこともあるので、日々ことあるごとに伝えるようにしていますね。そういうストーリーテリングが好きなんです。
たとえば「○○に住んでいる○歳ぐらいの人で、こういうビジネスをやっている」といった具体的なユーザー像を挙げて、この人がこんなことで悩んでいる、と想像するんです。僕らのプロダクトはここまでは解決できるけど、さらにこれを解決できると業務がこう変わる、そうすれば世の中の業務にも波及して……と紐付けていくんです。最近なら「ハンコがいらない仕組みを作る」なんかがわかりやすい例かもしれません。
ひとりのユーザーを幸せにするストーリーが、社会にとって意義のあることでもある。それこそチャレンジしがいのあるミッションなんだ、とストーリーから語るようにしています。
新しい楽しみを見出すことは、ひとつのスキルだと思う
――もう一つの顔である、ライター活動について聞かせてください。ライター仕事をはじめた最初のきっかけはなんだったのでしょうか。
Facebookやnoteに書くこと自体は入社後も続けていたんですが、最初のきっかけはイランに行った旅行記が拡散されたことですね。そこで「うちでも書きませんか」という依頼が届くようになったり、「オモコロ杯」での優勝をきっかけにオモコロで書くようになったり……という感じで。
――仕事が忙しくなってブログの更新が途絶える、ということもよくあると思うのですが、岡田さん自身は「忙しくて書く暇がない」ということはありませんでしたか?
僕自身「忙しいのが絶対にイヤ」という体になってしまったんですよね……。スタートアップはやろうと思えば無限に仕事があるので、自分からやる仕事を取捨選択するようにしています。今はすごく健全に働いていますね。有休も完全に消化していますし。
――そのせっかくの有休で『きかんしゃトーマス』を見てたのか、って言われたりしないですか?(参照:「『きかんしゃトーマス』490話を2周した夏の記録」(オモコロ))
そこまでは……。会社が大きくなった割に小さなチームで仕事をしているんで、「岡田悠」がfreeeに所属していることを知らない社員のほうが多いかもしれないです。チャットで「この人うちの社員なんですか?」という会話も見たことがありますし。
――書いている内容と仕事の内容がかけ離れていますもんね。
仕事の話は一切書いたことがなくて、そこは完全に切り離していますね。
freeeの今の仕事は業務の効率化を徹底的に考えるものなので、それとは全然違う頭の使い方をしたい、というのがあるんです。最近家ではずっとエアロバイクを漕いでいるんですが(※)、これなんて効率の世界からかけ離れているじゃないですか。
※ 「エアロバイクをGoogleマップに連携して日本縦断の旅に出ます」(オモコロ)でのチャレンジ。4月の記事公開後もエアロバイクを漕ぎ、SNSで寄せられた「思い出の景色」に立ち寄りながら日本縦断の旅を続けている。稚内からスタートし、取材時点では名古屋まで到達していた。
ちなみに僕も現在エアロバイクを漕いでバーチャル上で日本縦断に挑んでいます。4月に北海道を出発して、もうすぐ名古屋。ブーストアイテムが欲しいhttps://t.co/wgMHE9RqZH pic.twitter.com/w3aPdondmB
— 岡田 悠 (@YuuuO) July 13, 2020
▲エアロバイクの告知をする岡田さんのTwitter投稿
――なぜ、あえて「効率」と真逆の活動をするのでしょうか? 普段も効率のことを考えていたら、仕事にも活かせるのではと思うのですが。
freeeの仕事では、「望まない無駄をなくして、やりたいことをやれるようにしよう」という姿を目指しているんですが、じゃあ本当に全てが自動化されて、あらゆる無駄がなくなったときに、自分はいったい何をすべきだろう?という問いがずっとあるんです。
やることがなくなったときに、クリエイティブな活動をするのか、ただただYouTubeで自動再生される動画を眺め続けるのかで、だいぶ過ごし方が違いますよね。何かを創造したり、何かに新しい楽しみを見出したりするのって、ひとつのスキルでもあるし、これから大事になるんじゃないかと思います。コロナ禍の状況なんて、まさにそうですから。
▲ エアロバイクの移動状況は、Webページからチェック可能。8/11現在は、兵庫県まで到達している
――望まない無駄をなくして、自ら無駄を作り出す……。そのスキルを自分のなかでも絶やさないようにしていると。
かっこいい言葉で表現するならそうですね。やってることは別に、寿司のクーポンを集めたり、エアロバイクを漕いだりなんですけど……(笑)
文章を書き始めてから、日常の解像度があがった
――あえて無駄なことをする、という考えに至ったのは、なにかきっかけがあるんですか?
投資銀行時代の経験もあるかもしれませんね……。バケーションが取れた社員同士が「自分がこの旅行先を選んだ理由」で張り合ってるんですよ。ここに行くのが一番ROI(※)高いよね、とか、こっちのほうが有益な過ごし方ができるとか。その様子を見て、全てにリターンと競争を求めるやり方は、やっぱり自分には合わないなと。
※ Return On Investmentの略称。ある一定の投資によってどのくらいの利益を上げることができたのかを示す指針のこと。「投資利益率」とも呼ばれる。
――大学生の岡田さんが行った、あの「予定通りいかないモロッコ」と真逆の旅行計画ですよね。
そうですね。旅行って絶対予定通りにいかないし、わけのわからないオッサンや、わけのわからない文化に出会ったりする。そういうときに「どうしようどうしよう」と考えていると、すごくアドレナリンが出て、生きているなって感じがするんです。
旅行先で起きたハプニングがブログになることも多いんですが、別にトラブルに遭いたくて遭っているわけじゃないんですよ。旅行記を書こうと思いながら旅行すると、面白いことが起こるんですよね。それって偶然じゃなくて、アンテナを張っているからこそ、面白いモノを目ざとく見つけられるようになる。文章に書くことをはじめてから、日常の解像度があがるようになった気がします。
▲取材時の岡田さんの後ろには、日本縦断チャレンジで使用している日本地図が。貼り付けてある付箋は、SNSで寄せられた「思い出の景色」の場所だそう
――今後も会社員とライターを続けていかれるのでしょうか。
ライターの仕事は空き時間にやっていますけど、最近は書くほうがすごく楽しくなってしまって。もう少し本腰をいれたらなにが起こるんだろう、という興味はあります。旅行記を書いて暮らせたら最高だろうな、とか。
ただ、freeeで働いていても定期的にアドレナリンが出る場面はあって、そういう“たぎる”瞬間も持っていたいですね。正直、仕事に対して野心みたいなものはないんですが……freeeはめちゃめちゃ働きやすいので、もう他では通用しない体になっている気がします(笑)。創造的な心を忘れず、楽しく働ければいいかな、と思いますね。
大学卒業後、外資系証券会社の投資銀行部門に就職するも、10カ月で退職。しばらく家業を手伝ったのち、2014年6月にfreee株式会社に入社。マーケティングやバックオフィス業務、事業戦略を経てプロダクトマネジャーに。noteの記事をきっかけに、ライターとして「オモコロ」などで執筆。
(文=井上マサキ/編集=ノオト)