プログラマとしてコーディングに励む一方で、将来はシステムの設計に携わりたいと思う方は多いと思います。株式会社ゼンアーキテクツの岡大勝さん(代表取締役CEO)は、その夢を叶えた一人。金融や製造業など幅広い業界を守備範囲とし、アーキテクチャ設計に励む忙しい日々を送っています。
そんな岡さんは何をきっかけにITの世界に興味を持ち、どんなキャリアを歩んできたのでしょうか?また、アーキテクトとして設計に取り組む醍醐味とは何でしょうか?と、話を聞きました。
ベーシックマガジンにハマった小学生時代
――なぜITの世界を志したんですか?
岡:小学生の時、近所に住んでいた従兄弟のお兄さんが「X1」というシャープのパソコンを持っていました。まだカセットテープの時代です。その時、X1でゲームをしたくて毎週のように遊びに行っていたんです。そのうちに、自分も「MSX」というパソコンを買ってもらいました。そして『ベーシックマガジン』というパソコン誌を読みながら入力して遊んだのが私の原体験です。
――昔からずっとやられていたんですか?
岡:専門の道には進みませんでした。大学も普通の経済学部です。大学でプログラミングを習ったわけではなかったんですが、就職先を決める際に第一勧銀情報システムというシステム開発会社に入ることにしたんです。
――どうしてそこに入ろうと思ったんですか?
岡:意外かもしれませんが、特にシステムに携わる仕事がしたいとは思っていませんでした。学生の頃、バイクにハマったんです。バイクをいじったり走らせたりすることが楽しくて。今考えるとバイクに対するロジカルな思考の積み上げが、今のアーキテクトの仕事につながっているように感じます。
――どのへんがですか?
岡:バイクといっても私はレース指向だったんです。例えば車とは違い、バイクはうまく走らせるためにはいろいろ考えながら操作しなきゃいけないんです。ブレーキのタイミングだったり、寝かしこみだったり、そういう物理法則に則った動きをしなきゃ速く走れない。
アーキテクトの仕事でも、やっぱり物理法則は無視できません。「転送速度がこれくらいで、データ量がこれくらいある。じゃあ、これは直列に流しても絶対終わらない」みたいな。その点で、バイクを速く走らせることと、システムをハイパフォーマンスで動かすことって結構近いような気がします。
――第一勧銀情報システムではどういう仕事をされていたんですか?
岡:まずはCOBOLのプログラミングですね。銀行のグループ内の業務システムの構築を1年くらいやって、次にC言語で取引先向けの給与計算システムを作りました。私と、協力会社のおっちゃんの二人でゼロからつくったんです。そこでメモリの考え方とかさんざん叩き込まれました。
――プログラミング言語はやりながら覚えたんですか?
岡:やりながらですね。あの時がいちばんしんどかった。朝から晩まで、寝ても冷めてもずっとプログラミング。今と違ってコンピュータはエラーのアラートを出してくれないんですね。うまく動かないと固まって終わりとか、OSを壊して終わりとか。
なので頭の中にメモリ空間を作って「今、プログラムはこの辺りで動いていて、データがこの辺りで配置されたから、じゃあこういう回し方をして表示させよう」みたいな。多分、今でも組み込み系のプログラミングはそんな感じでやられていると思いますが。
誰もやっていなかった技術を求めて
――第一勧銀情報システムを辞められてからはどんな会社に入られたんですか?
岡:ヘッドハンティングだったんですけど、日本DEC(日本ディジタルイクイップメント)という会社に入りました。そこでは金融のインテグレーションを行いました。システムの設計もしましたし、配線も含めたネットワークの設計や設置もしました。1995年くらいのことです。
日本DECは面白い会社で、マネージャーが指示を出すのではなく、現場が仕事を取ってきて、現場でチームを組んで、それをマネージャーがサポートするみたいなやり方をするんです。自分たちで「このプロジェクトではこの人とこの人に来てほしい」と声をかけて集めるんです。
入社当日のオリエンテーションで配属先に連れていかれるじゃないですか。そこで最初に聞かれたのが、「君、何ができるの?」でした。私は答えられなかった。周りにすごそうな人がたくさんいて、まだ新卒2年目とか3年目だった私は、答えられないままだったんです。「C言語をちょっとやっています」と言っても、「いや、Cなら全員できるから」という感じで。「そうじゃなくて何が得意なの」と言うんです。そこからは自分の得意領域を探す旅の始まりですね。
他の人の仕事に貢献できる技術を身につけないと生きていけない環境だったんです。しかも上司は何も指示してくれない。で、データベースを極めようと思い、まだ誰もやっていなかったマイクロソフトのSQL Serverに着目しました。実際にSQL Serverを使う案件で仕事をするうちに徐々に認められ始めたという感じです。その後、日本ヒューレット・パッカードに移ってUNIXとJavaとオブジェクト指向にのめり込みました。そして、たまたまプロジェクトで一緒だった日本ラショナルソフトウェアのコンサルタントに誘われてラショナルに移りました。
――ラショナルではどんな仕事をされていたんですか?
岡:開発プロセスとオブジェクト指向のコンサルティングです。思い返してみると、ラショナルに入る前まではずっとプログラミングに取り組んでいたんですね。今でも、プログラミングができない人に設計はできないと思っています。さっき言った物理法則がキーポイントです。
「ここでこれくらいの処理をするんだったら、全体としてはこういう構成じゃないとだめだ」という肌感覚が必要なんです。アーキテクトには「これだったらいけそう、これは絶対無理」という感覚を早い時点で感じ取ることがとても大事なんです。
人とお金を突っ込んでからお客様に「やっぱりできませんでした」とは言えませんから。その感覚はプログラムの話だったり、データ転送だったり、画面表示だったり、ネットワークがどれくらい遅いとかを全部考え合わせて「これだったら行ける」という判断をしている気がするんです。
『コンピュータはなぜ動くのか』という本あるじゃないですか。目の前にあるものがどういう仕組みで動くのかを理解できると、より良い使い方ができると思います。
起業、そしてアーキテクチャ設計に励む日々
――ラショナルを辞めていよいよ自分で会社を作るわけですが、自分でやりたいという思いはラショナルにいる頃に芽生えたんですか?
岡:いや、自分でやりたいという気持ちはなかったですね。できればラショナルでずっとメンバーとして働きたかったんですけど、IBMに買収されちゃいましたからね。買収された時のオリエンテーションで、IBMでは自分のやりたいことはできないだろうなということがすごく分かったんです。なので移籍しないで辞めようと決めたんです。
――ご自身の会社「ソフトウェアプロセスエンジニアリング株式会社(現・ゼンアーキテクツ株式会社)」はすぐに軌道に乗ったんですか?
岡:いや、あてもなくつくった会社なので最初は苦戦しました。自分が商業誌に寄稿した記事を持って営業に行ったりもしました。そのうちにアーキテクチャ設計の仕事が来るようになりまして、徐々に軌道に乗った形です。
――いちばん印象に残っているプロジェクトについて教えてください。
岡:最もハラハラしたのが、銀行の為替HFT(High frequency trade:超高速取引)システムの構築です。相場の状況とかを見てコンピュータが自分で売買してくれるシステムだったんですが、それが1秒間に100回近く売買するんです。そのアーキテクトをやらせてもらいました。
その時の要件が、為替なのでネットワークに為替レートが飛んでくるんですが、その為替レートを受けてから発注までのレジデンシー(時間)が0.07秒以内みたいなものでした。それは、今までのシステムでは全然できないので、まったく新しい発想で提案しなければならなかったんです。
誰もやったことがないような構成で、それを根気よく説明して、お客さんの不安を取り除き、納得してもらえるまで説明を尽くしたんです。自分の中では勝ち目があったので、それを信用してもらって「任せた」と言ってもらって。苦労の末にきちんとリリースして、しっかり性能が出たという経験には痺れましたね。プロジェクトの規模は最終的に二桁憶円だったはずです。
――不可能だと言われたシステムを動かすことがアーキテクトとしての醍醐味ですか?
岡:ITのシステムって全部トレードオフの塊なんです。当然、ものすごくお金をかければ何でもできたりするんです。ただ、いろんなパラメータがありますよね。パフォーマンスだったり信頼性だったり使いやすさだったり保守性だったり、コストだったり。アーキテクチャ設計には、そういうのを一石何鳥取れるかという脳内の連立方程式があるんです。
私が手掛けた中で、とても喜んでもらったのが富士フイルムさんです。2015年にリリースしたシステムがあるんですけど、お客さんがオンプレミス(物理構成)でつくったものがにっちもさっちも行かなくなったんです。そして、「どうやってでもいいから一石四鳥取りたい」とおっしゃるんです。知恵を絞って考えた結果、一石四鳥どころか五鳥も六鳥も取れた時のお客さんの喜ぶ顔は忘れられません。
――お客さんに信じてもらうには何が大切ですか。
岡:自分が心の底から「これで行ける」という確信ですね。マニュアルに載っているからとか、仕様がそうだからとかじゃなくて、自分のアタマで組み立てて、いろんな方向から試してみて「これだったらいける」と信じられるかどうかです。
――アーキテクチャ設計をするにあたって大切にしている信条やこだわりはありますか?
岡:「やるんだったら格好よくやろうよ」ということです。妥協しないとか、自分たちが誇りを持って進められるとか、いろいろあると思いますが、やるんだったら胸を張って世界中にアピールできるくらい恰好よくやろうよということですね。
取材協力:株式会社ゼンアーキテクツ