エンジニア/SEのあるあるを詰め込んだ漫画『トイボ』の 作者に聞く

『東京トイボックス』、およびその続編の『大東京トイボックス』(以下、『トイボ』)は、2005年から2013年にかけて連載されていた、ゲーム制作会社を舞台にした作品だ。

ビデオゲームのプログラマーやプランナーを登場人物とした同作は、「再現性の高い、ゲームの進行に影響を及ぼすバグを優先的に潰す」「度重なる仕様変更で開発現場が疲弊する」など、プログラマーと開発現場で起きていることを物語の中で描く。チームが「ゲームを納品する」というたった1つの目的のために奔走する熱いストーリーが支持されるだけでなく、その描写のリアルさから「エンジニアの仕事がわかる作品」として紹介されることも多い。

▲ シリーズ前編『東京トイボックス』(全2巻、画像手前)、続編『大東京トイボックス』(全10巻)は、いずれも幻冬舎から(前編は「新装版」として)。電子書籍Kindleでは、生原稿を電子書籍用にフルリメイクした「デジタルリマスター版」も

そんな『トイボ』シリーズだけでなく、ITやエンジニアリングをテーマにした作品を多く手掛けているのが、夫婦の2人組マンガ家「うめ」の2人だ。

実は『トイボ』以降も、プログラミングやエンジニアリングを扱った物語を数多く手掛けている2人。アップル社の草創期を舞台とし、若きスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックがコンピュータの開発に挑む『スティーブス』(コルク)、近年では、高校生のeスポーツを題材にした『東京トイボクシーズ』(新潮社)が連載中だ。

ITやエンジニアリングは、物語として描くのが難しい、そのうえ「リアルなお仕事描写」をするためのハードルは非常に高いテーマのはず。実際に、プログラマーやITエンジニアリングの描写が不十分で、見た人からのツッコミが殺到する作品も少なくない。

その難しさがありながら、『トイボ』が本職のITエンジニアからこれほどまでに支持されるのはどうしてなのだろうか。また、リアルなプログラマー、ITエンジニアの描写を行うにあたって、執筆中にどのようなことを意識したのか。うめ・シナリオ担当の小沢高広さんと、作画担当の妹尾朝子さんに話を聞いた。

▲ 『Clubhouse』上で公開インタビューを行いました(記事化の旨は、スピーカーは全員了承済み)

うめ
企画・シナリオ・演出担当の小沢高広さんと、作画・演出担当の妹尾朝子さんによる、夫婦の2人組マンガ家。2001年に『ちゃぶだい』で第39回ちばてつや大賞を受賞。『大東京トイボックス』は、2012年のマンガ大賞、2013年の文化庁メディア芸術賞審査員推薦作となる。
他の作品として、南国の離島を舞台に少年たちの冒険を描いた『南国トムソーヤ』、Apple社草創期と1970年代のシリコンバレーを描く『スティーブス』など。現在は、コミックバンチにて『東京トイボクシーズ』を連載中。

「絵にならず、難しい」ITエンジニアの仕事を描くための苦労

——ITやエンジニアリングは、いろいろなマンガの題材があるなかでも「専門知識が求められる」や「物語に落とし込みづらい」など、かなり難易度が高いテーマなのでは……と思っています。実際に作品を描くにあたり、やりづらさを感じたことはありませんでしたか?


妹尾さん:もちろん思いましたよ! 難しいなあって。


小沢さん:すごいやりづらかったですよね(笑)


妹尾さん:そもそも私たちって、一般企業にまともに就職して働いたことがないので。会社員が普段なにをしているのかわからないんですよね。『トイボ』を描くときは業界本を読んだりゲーム会社に取材に行ったりもしましたが、基本的にはみなさんパソコンに向かって作業して、たまに会議をやるだけなので。「これは絵にならない!」「どうしよう!」と。


小沢さん:どうしてもアクションがあったほうが絵になりますから。会議をするにも同じ場所ばかりになるので、絵的には辛いですね。

——それは、どういった工夫でカバーしたのでしょう?


妹尾さん:まず絵がわりさせるため、場所を変える。オフィスの屋上でイベントを起こしたり、ランチに行かせたり。あとは、ミーティングを終えた太陽(※)が屋形船にのってオフィスに戻る……みたいに、東京の実際にある場所を登場させたりしました。

※ 天川太陽。『トイボ』シリーズの主人公の1人で、舞台となるゲーム制作会社「スタジオG3」の社長(後にプランナー兼ディレクターに)。手掛けるゲームをよりおもしろくするためのアイデアがひらめいたときに彼が言う「仕様を一部、変更する!」は、シリーズを代表するセリフ。

——秋葉原や上野などの、実際にある場所が登場するのは「絵がわりのなさ」をカバーするためだったんですね。


妹尾さん:私は『こち亀』が好きで。街の歴史や成り立ちみたいな「東京の都市論」を物語に組み込むのに憧れていたんですよね。

赤坂で仙水(※)が釣りをするシーンがあるのですが、背景に写っている弁慶橋はもともと神田にあったものを今の場所に移築されたものなんですよ。それを、秋葉原(≒神田)にオフィスを構えるスタジオG3と仙水のいるソリダスワークスの関係(※)に重ねる……というような後付けの設定があったりして。

※ 仙水伊鶴、『トイボ』シリーズの登場人物の1人。業界最大手の総合アミューズメント企業「ソリダスワークス」所属のプロデューサー。主人公の太陽とは幼馴染にあたり、ふだんはライバルだが状況によっては協力関係になるなど、物語のトリックスター的存在。同作と世界観を共有する『東京トイボクシーズ』にも引き続き登場している。

※ 『東京トイボックス』終盤にて、スタジオG3唯一のオリジナルタイトルだったゲーム『サムライ☆キッチン』の商標権がスタジオG3から仙水が籍を置くソリダスワークスに譲渡される。「太陽から仙水へ」渡った作品の権利譲渡と弁慶橋の移築が重ね合わされているが、「ただし後付け」(妹尾さん)とのこと。

▲該当のシーン。弁慶橋から西方向を見た様子で、右側で釣りをしているのが仙水

——実際の場が登場するのは「登場人物が現実世界にいそうな感じ」がしてすごく好きなのですが、そんな経緯があったとは……。


妹尾さん:「いそうな感じ」を受けてくださっているのであれば、それはすごく嬉しいですね。


小沢さん:あとは『スティーブス』だったら、スティーブ・ジョブズが使ったといわれている「現実歪曲フィールド」(※)を能力バトルマンガみたいなイメージで可視化しました。ジョブズを描いた映画やマンガは数ありますが、あれを絵にしたのは僕らが初めてだったみたいです。

※ 「実際には不可能に思えることでも、ジョブズに言われるとさも実現可能なことに思えてしまう」という、スティーブ・ジョブズが周囲の人々へ与える影響の強さを表現するために生まれた言葉。

▲小沢さんが視覚化した「現実歪曲フィールド」。マンガのスティーブ・ジョブズ(下)は稲妻のようなオーラを出して商談を成功に導く。上段右はもうひとりの主人公であるスティーブ・ウォズニアック。


小沢さん:『トイボ』でも、ゲームセンターのシーンで雰囲気をちょっと変える……といった、物語の幅を広げる手法を取り入れたり。

——主に演出面で、いろいろな工夫をされたんですね。


小沢さん:そうじゃないと、飽きます。パソコンの前でキーを叩いているだけで、会話も下手したらチャットで済ませちゃう文化ですから。

——しかし、そんな「絵にならない」「難しい」テーマで、『トイボ』の後も作品を作り続けているのはどうしてでしょう?


小沢さん:『トイボ』は、連載していた週刊モーニング(講談社)の編集部から「サラリーマンものをやってみない?」と持ちかけられたのが最初です。同誌には島耕作というビッグネームがいるので、「それと張れるのを作って」と(笑)

そういった経緯で描いた『トイボ』をゲーム会社やエンジニアの人が読んでくれて、だんだんIT業界の人とのつながりが増えていったんです。その後にITをテーマにした作品が増えていったのも、その繋がりがあったからですね。

読者からのツッコミは単行本で反映、週刊誌掲載は「β版」を

——『トイボ』は、「仕様を一部、変更する!」に象徴されるような、実際にありそうなエンジニアのお仕事描写も魅力のひとつですよね。知らない業界を描くなら「描写の正しさ」を担保するのも一苦労だと思うのですが、本職の方が作品を読んでも違和感がないよう、意識したことはありましたか?


小沢さん:「わかる範囲で正しくしよう」というのはもちろんですが、それでもわからないことは周りの人に聞くようにしていました。『トイボ』の連載中は身の回りのエンジニアさんに声をかけて非公開のmixiのグループを作っていて、わからないことがあったらそこで質問するんです。

——具体的にどういうことを聞くのでしょう?


小沢さん:たとえば「ver 1.00から1.01になるのと、1.1になるのの違いはなに?」とか、「データを送るのかCD-Rにするのか、ゲームの最終納品ってどうするの?」とかですね。

それでもやっぱり、ツッコミが入ることはあるんですよ。ツイッターで指摘されたときは、「どこがおかしいですか?」って聞きに行きましたよね。


妹尾さん:『スティーブス』を描いているときに、「ビル・ゲイツのキーボードの叩き方が違う」とツッコミが入ったんですよ。

マンガでは5本指で叩いているように描いたんですが、「事実は親指と人差し指の2本ですよ」という指摘で。それを受けて改めて調べましたが「人差し指だけだった」という説と「親指と人差し指だった」という2つの説があって、事実がどちらかは判断できなかったんですよね。

▲『スティーブス』には、マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツも登場(下段)。ジョブズおよびApple社との因縁が描かれる

——ツッコミが入ったら、「いっそのこと、直接聞きに行ってしまう」のは現代ならではですね。


妹尾さん:『トイボ』の頃は、週刊誌に載せるものはゲーム業界でいうところの「β版」、つまり未完成なものだと割り切っていました。いくら正しい描写を意識して作っても、雑誌に掲載されたとたんに各方面からツッコミが来るんですよ。そこで指摘された内容は、単行本で反映する。つまり、こっちは「マスター版」ですよね。

——では、物語に登場する「エンジニアあるある」はいかがでしょう? 人によっては身に覚えがある、生々しい描写はどうやって生まれたのでしょうか。


小沢さん:あれは取材やmixiのグループで聞いた、エンジニアさんたちの本物の愚痴ですね。さきほど話したmixiグループが、やっていくうちにいつの間にか「外には出せない、仕事の愚痴を吐き出してもいい場所」になっていきまして(笑)。いろいろ目を通して、いいエピソードには「これ、詳しいことはぼかすからマンガで使っていい?」と。

——一つひとつがやたらと生々しいのにはそういった理由が。具体的にはどういったエピソードですか?


小沢さん:大きなところだと、依田っち(※)の回想シーンで出てくる、開発現場のエンジニアの台詞でしょうか。進捗状況が芳しくないことの責任を誰も取りたがらない現場のエピソードなのですが、mixiに書き込まれた話を読んでちょっと泣きそうになっちゃって。

※ 依田敦史、スタジオG3のチーフプログラマー。同社のなかでも業界経験が長く、G3入社前はいろいろな開発現場を転々としていたベテラン。回想シーンで語られているのは、赤字を垂れ流す開発現場に「火消し要員」として参加させられたプロジェクトの思い出

▲ 実際の愚痴を元にした、回想シーン。現場の愚痴をこぼす若手プログラマーのマサ(上段)に対して、「業界ではよくあること」と答える依田(下段左)


妹尾さん:実際にあった出来事をベースにしたエピソードに対して、「こんなことは起きない!」というツッコミが入ることもあるんですよね。同じ業界にいて同じ仕事をやっていても、現場の社員か経営者かによって見えている景色が変わるんですよ。それがわかってからは物語もかなり書きやすくなった記憶があります。

エンジニアの愚痴や居酒屋トークが作品にリアリティを与えた

——取材やmixiのグループでいろいろな方にお話を聞いたかと思うのですが、そのなかで「プログラマー」または「ITエンジニア」という職業の方々にどういう印象を持ちましたか?


小沢さん:エンジニアは、「課題を解決していくために、その方法を積み上げていく人」という印象でしょうか。一足飛びに課題をクリアしようとするのではなく、その問題がどこにあって、クリアするには何が必要なのかをきちんと考える方が多かったです。


妹尾さん:日常的に接していても、課題解決のための合理的な考え方がどんどん出てくるのは面白かったですよね。

たとえば「彼氏と最近うまく行っていないんだけど」という相談に対して、「それって、最終的にどうなりたいの? 結婚したいの?」「長期目標と短期目標を教えて」みたいな答えが出てくるんですよ。「そんな考え方したことない!」って(笑)

▲来客に対して、社内チャットでこっそり文句を言うスタジオG3のメンツ(画像右)。思わず「あるある」となってしまう人も少なくない……かも?


小沢さん:取材する前は、「眼鏡をかけている」とか「理屈っぽい」とか、エンジニアさんに対して多少なり先入観があったんですよね。でも実際にお会いすると、どうもひとくくりにはできないな、と。


妹尾さん:そうですね。話してみると、自分の身の回りにも普通にいそうな人たちで。キャラクターにするにもそのまま描いたほうがおもしろそうだな、と思ったんです。たとえばマサの「作業に煮詰まるとギターを弾く」という設定だって、実際に会った人を参考にしたんですよ。

——エンジニアの描写も「仕事場あるある」も、物語にあわせて考えるのではなく、実際に会った人や身近な人々から、お2人が見聞きしたものの集積なんですね。


小沢さん:僕らが作りたいのは業界本じゃなくってマンガなので。取材に行っても、聞きたいのは業界のルールや作業手順よりも愚痴なんですよね。つながりを持った方々から現場の話をたくさん聞けたのはすごく助かったな、と。


妹尾さん:とにかく、愚痴を聞くためにエンジニアさんとしょっちゅう飲みに行きましたね……。

働くことは、職種に関わらず「納期とこだわり」のせめぎあい

——自分が『トイボ』で一番印象に残っているのが、物語のクライマックスにあたる最終納品の直前、須田(※)が開発チームのために一肌脱いで、無理やり作業期間を確保してくるシーンなんです。ここで「納期を月曜の朝まで伸ばして、土日を作業に充てる」という裏技が使われているんですが……これは、フリーランスのライターもよくやる動きなんですよね。

※ 須田大作。スタジオG3 と共同でゲーム開発にあたる販売会社「MMG」のプロデューサー。物語終盤で納品先の勝手な都合で納期の前倒しが起き、木曜日の時点で予定では来週末だった納品期限が、無理やり今週末(=明日)に繰り上げられる。そこでチームの作業時間を確保するため、納品期限を週明け朝イチまで引き伸ばすべく動いたのが須田だった。営業日換算だと丸1日に満たない引き伸ばしだが、休日を挟むことで、追加で2日分の作業時間を確保するという、須田いわく「週末トリック」。

▲須田(右)が引き伸ばした3日間は物語の山場となるが、言うまでもなく、リアルのお仕事ではやらないほうがいい


小沢さん:あれは「マンガ家あるある」でもあります(笑)。というか、締切りに追われる仕事をしている人だったら誰でも覚えはあるんじゃないですかね?

——確かに。なんとかして決められた期日までに納得できるものを作らないといけないという「納期とこだわり」のせめぎあいは、『トイボ』だけでなく『スティーブス』でも描かれているテーマですよね。


妹尾さん:「納期とこだわり」というのは、『トイボ』の準備をしている時期から物語のテーマにしようとしていました。「サラリーマンもの」という未知の題材でも、マンガとも共通しているこのテーマなら描ける、と。


小沢さん:働くって、職種に関係なく「納期とこだわり」なんですよね。僕たちみたいなフリーランスでも、会社員でも、そこは大きく変わらないんです。

——サラリーマンやビジネスを描くのであれば、絶対に外せないテーマなのかもしれないです。


妹尾さん:自分の名前で作品を世に出すって、本当に怖いんです。作品の善し悪しだけで判断されるので、「これで出していいのか」とずっと考えちゃって。


小沢さん:だから、その怖さをそのまま作品にする。僕らの作品にみなさんが共感してくれているのであれば、それが多くの人に響いたのかもしれないです。

——多かれ少なかれ、みんな納期が怖い。


妹尾さん:今も、本来であれば一昨日に出さないといけない単行本の修正作業が終わっていないんですよ(笑)。「ある程度のところで出せばいいじゃん」という人もいるんですが、どうしてもね。


小沢さん:ずっと手元に置いて、手を加え続けられたらいいんですけどね。今日もやらなくちゃいけない。辛いんですよ……。

——『ボクシーズ』の最新刊も楽しみにしておりますので……! 本日はお忙しいところ、ありがとうございました!

(文・編集=ノオト

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