電子政府。
それは、コンピューターやネットワーク、データベースなどの技術を駆使し、行政の効率化や透明性の向上、国民の生活の利便性向上などを実現する政府を指します。その一例として、日本でもマイナンバー制度を導入し、国民一人ひとりのデータを一元管理できるようシステム化が進んでいることは、みなさんもご存知でしょう。
ですが、なんと“約15年も前に”国民にIDを付与する仕組みを実現した国家があると聞けば、きっと多くの方は驚くのではないでしょうか?
それは、北ヨーロッパにある共和制国家「エストニア」です。かつてソビエト連邦の支配下にあったこの国は、1991年に独立を宣言。以来、情報通信技術とバイオテクノロジーに資本を集中し、世界でも類を見ないほどの“超”電子政府へと成長を遂げました。
国民一人ひとりにIDが割り振られ、それを用いて電子署名や電子認証を行うことでインターネット上のサービスを安全に利用することができる「eID」。すべての学校でインターネットを利用できる環境を整備し、新しいスキルとして教師に対してもインターネット教育を実施した「タイガーリープ(虎の躍進)」。分散型のシステムを構築し、各システム間のデータをデータ交換レイヤーによって安全に通信できるようにした「X-Road」など、その先進性は目を見張るものがあります。
今回は、2012年までエストニアの経済通信省にて経済開発部の局次長などを歴任し、現在はPlanetway Corporationで取締役を務めるラウル・アリキヴィ氏を取材。エストニア設立にまつわるエピソードや、電子政府実現のカギなどを伺いました。
法律もない。人口も予算も少ない。その状況下だからこそ、エストニアという国家の未来をテクノロジーに託した
―ソビエト連邦からエストニアが独立したばかりの頃、国はいったいどのような状態だったのでしょうか?
ラウル:独立当初は、エストニアには法律もなかったですし、社会的なインフラも整っていませんでした。文字通りゼロからのスタートだったのです。けれど、既存のレガシーな仕組みとの“しがらみ”がなかったからこそ、他の国よりも新しい取り組みをしやすかった。そのため、「電子政府」というコンセプトをかなり早い段階で打ち出すことができました。
―90年代初期といえば、インターネット黎明期ですよね?そこに、国家基盤を担わせるというのは相当に先進的なことだったと思うのですが、政府関係者は成功のためのマスタープランを持っていたのでしょうか?
ラウル:数年単位でのプランは持っていたのですが、「10年後、20年後にこれを実現する」という長期的なプランは持っておらず、電子政府化によってうまくいくかは不透明でした。
今は誰しもが、テクノロジーに価値があることを理解しています。けれど、その当時はそれが100%理解されていたわけではありませんでした。「政府は何をやっているんだ」という国民からの批判もありましたし、試行錯誤しながらだったので失敗も多かったです。けれど、「国を立て直すには、これしかない」という想いで、IT化を推進していきました。
とにかく地道な活動を続けなければ、新しいインフラを普及させることはできない
▲エストニアでは、政府の閣議もすべての資料がデジタル化され、ペーパーレスだ。各大臣は、国内外のどこからでもパソコンで資料にアクセスし、事前に読んでおけるのだという。
―エストニアでは、個人情報をIDで管理する「eIDカード」の導入を2002年に開始しています。日本でのマイナンバー法の施行が2015年であることを考えると、相当に時代を先取りしていますよね。どのようにして、これほど早い段階でこの仕組みを普及させたのでしょうか?
ラウル:先ほどの例と同様、初めから国民全員の理解が得られたわけではありません。特に、最初の5年くらいはeIDが利用できるサービスも少なかったので、「なんのメリットがあるんだ、どこで使ったらいいんだ」と揶揄されることも多かったです。ジョークで「エストニアは冬が寒いから、凍った車の窓の氷を削って取り除くのにはeIDカードは使えるね」なんて言われたこともありました。
でも、次第に様々なサービスでeIDを利用できるものが増えてきて、徐々にその利便性が発揮されるようになっていったのです。
―日本でもマイナンバーの普及を進めていくために、エストニアのどういった部分をお手本にしていけば良いと思いますか?
ラウル:新しいインフラを普及させる際には、決して最初からうまくいくわけではありません。だからこそ、どんなことを言われても地道に普及活動を続けるフェーズが必要になります。その期間を乗り越えてこそ、ようやくそれに価値が生まれてくる。それには時間がかかるということを理解して進めていくべきだと思いますね。
クラウドの仕組みを、なんと約15年前に完成させていた。各システム間のデータを安全に通信する「X-Road」という構想
▲電子化・ペーパーレス化が進むエストニアにおいても、結婚、離婚、そして土地の売り買いだけはまだ紙による手続きをする必要があるのだとか。「人生において重要で、エモーショナルなものだから」とラウル氏は説明する。
―2001年に開始された、各システム間のデータをデータ交換レイヤーによって安全に通信する「X-Road」という構想。これは、どのようにして生まれたのでしょうか?
ラウル:当時のエストニアでは、政府機関や大手の企業などは自分たちで独自のデータベースを持っていました。使っている技術も、プログラミング言語もそれぞれ異なっていたんです。でも、それらが持っているデータが重複していると、非効率ですし、整合性を取るのも大変ですよね。だからこそ、「各機関や企業の持つ複数のデータベースに、安全性を保ちながら自由にアクセスできる構想」にたどり着いたんです。
―その構想は現在の“クラウド”そのものですね。それを2001年に作り上げることができたというのは驚異的です。
ラウル:そうですね。だから、クラウドがバズワードとしてもてはやされた時期に、「エストニアはもうすでに使っているよ!」と誇らしい気持ちになりました。
―X-Roadは、どれくらいの人数によって管理されていたのでしょうか?
ラウル:「X-Roadセンター」と呼ばれる、X-Road全体を統治するための施設で働いていた人は、最初は3人くらいしかいなかったんですよ。もちろん、X-Roadに携わっている人そのものは、もっとたくさんいましたが。
―それはすごい……。国家のデータ基盤の中枢にあたる部分を、わずか3人で担当していたとは。その成功の秘訣はどのような部分にあると思いますか?
ラウル:エストニアは人口が少ない国なので、どんな業界も人が足りていません。その状況下でプロジェクトを成功に導いていくためには、現状の課題をきちんと分析して解答を見つけていくこと。そして、それが実行フェーズに移行したら、きちんとコンセプトを貫くことがカギなんです。
ITリテラシーの低い人々に対し、いかにしてテクノロジーを普及させるか
―エストニアと同じように、日本も電子政府化を進めていくためには、どのようなことが必要だと考えますか?
ラウル:ITリテラシーのない人に対して、どのように教育を施すか、ということは常に考えておくべき課題だと思います。エストニアが行っている施策を例にすると、小学校一年生から授業でプログラミングを教えています。小さい頃からテクノロジーに親しんでもらうことによって、ITに興味を持ってくれる人を増やそうとしているんです。
それから、1995~1996年頃から、年配の方向けに簡単なパソコンの使い方の講座を開催しました。私の母親もこの施策によって使い方のレッスンを受けたら、それまで紙ベースでやっていた郵便局員の業務をコンピューターでもできるようになったんです。
―そういった働きかけがあったからこそ、IT国家と呼ぶに相応しいほどに成長できたのですね。
ラウル:はい。そういった地道な活動が、今の状況を実現してくれました。
日本は今後、高齢化が進んできっと人口が少なくなる。それを考えると、もっと少人数でも業務を回せるように効率化を進めていかなければいけません。その方法を考える際に、エストニアのやってきたことは参考になるのではないかと思っています。
テクノロジーを信じる力が、エストニアというIT国家を作りあげた
日本では、未だに多くの業務や活動がアナログな方法で行われており、電子政府と呼ぶには程遠いのが現状です。しかし、昨年から施行されたマイナンバー制度を口火として、様々なバックオフィス連携が可能となり、徐々にIT化が進んでいくのは間違いありません。
1991年の独立後、エストニアは多くの人々が力を合わせながら現在の体制を作りあげてきました。その道筋は決して平坦なものではなく、時には国民の反発を受けながらも、強い意志を持ってプロジェクトを遂行したことが、ラウルさんのお話から伝わってきました。
そこにあったのは、何よりもテクノロジーを信じる強い気持ち。そして、その仕組みを作りあげたエンジニアたちの、ひたむきな仕事にあったのではないでしょうか。