東京・台東区に拠点を構えるオーディオメーカーが生み出した、「音がくっきり」聴こえるスピーカーが、いま注目されています。
それは、株式会社サウンドファンが手掛ける「MIRAI SPEAKER(ミライスピーカー)」。キャッチコピーである「音量上げずに、言葉くっきり」の通り、「テレビの音がくっきり」聴こえることを目標に開発されたテレビ用スピーカーです。普段の生活において「聴こえ」にお困りの方でも聴こえやすい音が出ていると、その機能やコンセプトが評価され、2022年末の時点で販売台数は15万台を突破しました。
▲提供:サウンドファン
「音がくっきり」聴こえる理由は、同社製品採用の「曲面サウンド」が出す「面内波(めんないは ※)」によるもの。一般的なスピーカーとは異なった音の波によって、多くの人が聴き取りやすい音を出しているのだとか。
そんな、聞き慣れない「面内波」とは、どんな音なのでしょう。また、MIRAI SPEAKERの音はどうして聴こえやすいのでしょうか? サウンドファン社を訪れ、同社研究開発本部の田中さんにお話を伺いました。
※ 東京都立大学大学院システムデザイン研究科・システムデザイン専攻電子情報システム工学域、大久保寛研究室による名称
「面」から出た音は、どうして聴き取りやすく感じる?
——MIRAI SPEAKER(以下、ミライスピーカー)は「面内波(めんないは)」と呼ばれる仕組みを利用して音を出していると伺いました。聞き慣れない言葉なのですが、これは一体、どういうものなのでしょうか?
田中さん:とてもシンプルに言うと、「硬い板(振動板)の側面から音の振動を加えて、板全体を振動させて音を出す」仕組みです。そのとき、振動している板を湾曲させると、音が外側に向かって飛んでいくようになります。試しにちょっと、音を聴いてもらいましょうか。
——うわっ! 耳元で鳴っていると勘違いするくらい、音がしっかり飛んできますね。
田中さん:振動板を通して出た音は、テレビの音や人の声がよく聴き取れないといった、「聴こえ」に困っている人でも比較的聴き取りやすい、という傾向があります。このメカニズムを応用してできたのが、弊社の「曲面サウンド」であり、ミライスピーカーですね。
例えば、かつて使われていた蓄音機でも、音が出るラッパの部分で面内波が発生しているので、曲面サウンドと同様の「聴き取りやすい」音が出ているようです。サウンドファンの創業者が「この蓄音機の仕組みが、聴こえに困っている人の役に立つのでは?」と気づきを得たことが、面内波を利用したスピーカーが生まれるきっかけになったと聞いています。
——一般的なスピーカーとミライスピーカーで、音の出方はどのように違うのでしょうか?
田中さん:通常のスピーカーは、スピーカー中央の音が出る部分が前後に細かく振動して音を出します。そういった音は、スピーカー正面のごく限られた角度に向けて飛んでいくので、その範囲から出てしまうと、音の「聴こえ」が多少なり損なわれてしまいます。
一方の曲面サウンドでは湾曲した振動板全体から音が出ているので、音が広い範囲に向けて飛んでいくのが大きな特徴ですね。
▲お話を伺った、株式会社サウンドファン取締役、研究開発本部・本部長、田中 宏さん
田中さん:ミライスピーカーを使った方から、「テレビから離れて、台所にいても音が聴こえる」といった感想をいただきます。これは、そもそも聴き取りやすい音が放射されているのはもちろん、広い角度に放射した音が、部屋中で反響していることも大きな要因になっています。
一方向に音を飛ばすスピーカーだと、音はこれほど多様に反響しません。ですので、無響室(※)で音を聴いたら、「聴こえ」自体は普通のスピーカーとあまり変わらなかったりもするんですよ。
※ 壁や床に特殊な加工が施されており、音の反響を可能な限り抑える設計がなされている部屋のこと
▲上図はスピーカーから出る音の広がりを示したもの。一般的なスピーカーの右図に対して、曲面サウンド(左図)のほうが、音が広範囲に広がっていることがわかる。これが部屋の中でさらに反響し、離れた場所にいても音が届きやすくなる
——ミライスピーカーを通してテレビの音を聴くと、音楽や番組の効果音よりも、人の声が浮き上がるように聴こえてくるのが印象的ですよね。
田中さん:それは、ミライスピーカーが「テレビの音を聴こえやすくするスピーカー」として、特に重要な「人の声」を強調する音作りをしているからですね。具体的には、中音域が強調されるようにスピーカー全体を調整しているんですよ。
——具体的に、どのような調整を行うのでしょうか?
田中さん:曲面サウンドの場合、振動板を通して強調される音は「板の材質」と「曲げ具合」で決まります。板のカーブが急になればなるほど、高音が強調されるようになるんですよ。
テレビにも「声くっきりモード」のような機能がありますよね。これも、強調している音域はミライスピーカーと一緒です。ですが、やはりミライスピーカーを使った方からは「くっきりモードよりも、ミライスピーカーを通したほうが声も聴き取りやすい」という感想をいただいています。
——どうして聴こえにお困りの方であっても、曲面サウンドは聴こえやすいと感じるのでしょうか?
田中さん:それが……実はまだ研究中で、生理学的な裏付けは見つかっていないんですよ。あくまでも可能性のひとつですが、面内波に発生する独特の音の歪(ひず)みがいい、とも言われています。
ミライスピーカーの音って、人の声であっても少しだけ音に歪みがあるんです。エレキギターのように極端なものではないですが、人の耳って、適度な音の歪みだったら心地よく感じることもあるじゃないですか。それによって音が浮き出て聴こえるのでは、と。
——音楽を聴くときだって、エレキギターの音はとにかく目立ちますよね。
田中さん:ミライスピーカーは「人の声を聴く」機能にフォーカスしているので今の作りになっていますが、当然「音楽番組を見るときは音の歪みが少ないほうがいい」「歪みによって、きつい音に感じる」という方がいるのも事実です。聴こえはそのままに、もっとなめらかな音にできないか、試行錯誤中です。
「テレビ用」を目指すため、オーディオ技術者の先入観を捨てた
——ミライスピーカーの内部は、どのような作りになっているのでしょう?
田中さん:一般的な構造のスピーカーに、面内波を出すための振動板を取り付けた構造になっています。人の耳には、湾曲した振動板の面内波と大元のスピーカーからの音、2つが届く仕組みですね。
先ほど、「振動板を通した結果、音が歪んでいる」とお話をしたのですが、基本のスピーカーとアンプはとにかく音質を大事に作っています。フラットでクセがなく、単体でも販売できるような高品質のものですよ。
▲スピーカー部を見えるようにしたミライスピーカー本体。中央の白い板が振動板
——振動板は、どういった素材なのでしょう。
田中さん:詳しくは企業秘密なのですが……簡単にご説明すると、とても薄い発泡樹脂シートです。触ってみても大丈夫ですよ。
——それでは失礼して……。おお、硬い素材なのかと思ったら意外とやわらかいです。
田中さん:この振動板も、いろいろな素材を試して今の形になりました。プラスチックのような樹脂素材、カーボンなど別の素材も候補にあがりましたし、同じ発泡樹脂シートでも発泡倍率(※)や素材の板の厚さで強調される音域が変わるんです。素材とそこから出る音の特性をチェックしながら、目的に合う素材と形状を探していきました。
※ 樹脂素材における密度を示す数値。この場合は、「発泡樹脂シート内部に、どれくらいの空気が含まれているか」のこと
▲本体から、振動板とスピーカーだけを取り外すとこんな様子に。白い振動板の上部についているのが小型スピーカー
田中さん:ちなみに、発泡樹脂シートと最終候補に残ったのは不織布の振動板でしたね。
——不織布って、これ(口元のマスクを指しながら)の……?
田中さん:そうです。試していたのは化学繊維の不織布ですが、ほぼ紙みたいな素材です。実は私の第一印象では、不織布のほうが音の出がフラット(※)でいいな、と思っていたんですよ。私は元々オーディオメーカーに勤めていた人間なので、「音楽を聴くため、スピーカーはフラットなほうがいい」という先入観があったんです。
ですが、実際にいろいろな人に音を聴いてもらった結果、「こっち(発泡樹脂シート)のほうが聴こえやすい」と。
※ スピーカーから、高音・中音・低音がすべてバランスよく出ている状態のこと
——テレビ用と音楽用とでスピーカーに求めるものも変わる、ということですね。
田中さん:そのとおりです。そういった「音楽用スピーカーとは違うものを作っているんだ」という意識の切り替えは、ミライスピーカーに携わるなかではすごく大切だったと思います。「フラットないい音を出す」目標は、スピーカーとアンプにこだわりを詰め込んで達成した。いい音を出したうえで、次は「聴こえやすい音」も目指していこう、と。
——なるほど。これまでもお仕事で意識されていた「いい音を出す」のに加えて、さらに「聴こえやすい音」を目指すようになったのですね。
曲面サウンドスピーカーを、家庭でも使ってもらうために
——田中さんは、どういった経緯でミライスピーカーに携わるようになったのでしょう?以前にオーディオメーカーにお勤めだった、とのことだったのですが。
田中さん:入社のきっかけは、当時のサウンドファン副社長がオーディオメーカー時代の先輩だったからでした。
私が入社した頃のサウンドファンは、すでに曲面サウンドの技術を持っていたのですが、一般消費者向けではなく、企業向けにスピーカーを開発・販売していました。私が商品開発に携わるようになったのは、そんななかでスタートした「曲面サウンドの技術を使った、家庭向けスピーカー」開発プロジェクトからです。これが後のミライスピーカーホームですね。
——具体的に、ミライスピーカーの開発ではどういったプロセスに携わられたのでしょうか?
田中さん:製品の基本設計です。なかでも、特に力を入れたのが量産設計ですね。
電化製品は、設計にあたって「その商品を、大量生産しやすい作りにする」ことを意識しなければいけません。こういった設計がきちんと行えていないと、「モノはいいんだけど、生産コストがかかる」「作りが複雑すぎて、大量生産できない」なんてことが起きてしまうんです。かつてサウンドファンが企業向けに販売していたスピーカーも、そういった量産設計にとても苦労している印象でした。
そこで、同じタイミングで入社した社員と「振動板を使ったスピーカーを、家庭向けに、普通に購入できる価格で作ろう」と動き出しました。彼に3Dプリンターで細かいパーツを作ってもらいながら、一緒に試行錯誤した記憶があります。
▲ミライスピーカーは、接続は本体をテレビと電源につなぐだけ、操作は音量調節のツマミだけと、使い勝手も非常にシンプル。これも、機械が得意でない方が使うことを想定した結果なのだとか
——前職時代も、そういったお仕事をされていたのでしょうか?
田中さん:いえ、前職で主にやっていたのはカーオーディオの回路設計でした。しかし長く勤めるなかで品質部門も経験しましたし、製造現場も見ていたので、「設計から生産、販売まで」の一連の流れは知っていました。ミライスピーカーを作るにあたっては、そういった経験が生きたかな、と。
現在は、回路設計だけじゃなくて基本設計もやるし、不良品が出た際の分析や修理対応もやります。作っているものは同じですが、守備範囲が広くなった、という感じでしょうか。
——「音楽用からテレビ用へ」は、ご自身にとって大きな転換だったのでしょうか?
田中さん:決して小さい影響ではなかったですが、手掛けている製品の志向が変わっただけですよ。それぞれの場所でいいものを作ることを目指してがんばっているだけで、違うものにチャレンジしている、という感覚はあまりないですね。
「聴こえにくさ」を感じる人を、スピーカーでサポートしたい
——ミライスピーカーを通して取り組まれている「聴き取りやすい音」を作る難しさって、どういった点なのでしょうか。
田中さん:何よりも苦労しているのが、「聴こえに困っている人の聴こえ方」がわからないことですね。自分は健聴者なので、そういった方が「どういう音が聴こえにくいのか」や「どのように聴こえにくいのか」は、想像するしかないんですよ。
そして、一括に「聴こえに困っている方」といっても、人によって「聴こえにくさ」も様々なんですよね。ある方は聴こえやすいと感じた音でも、別の方にとってはそうでない場合もある……。最終的に製品は、モニターの方へのアンケートの平均値を取って作り上げていくのですが、常に難しさを感じている部分です。
——「人がどのように聴こえているか」は体験しようがないですからね。
田中さん:日本医師会のリサーチによると、日本にはおよそ1,400万人の難聴者がいるとされています。そのうえ、自分の聴こえに自覚のない「難聴者予備軍」がさらに900万人(※)もいると言われているんです。このように、データになっていなくても日常的に「聴こえにくさ」を感じている人はもっと多いのでは、と。
サウンドファンとしては、こういった方をサポートし、「聴こえの改善による高齢者の活性化」を通して社会貢献ができれば、というのが今後の目標ですね。
※ 日本補聴器工学会の調査による
▲同社の曲面サウンドを利用したスピーカーは、空港内の混雑と騒音のなかでも音がクリアに届く仕組みが評価され、国内13カ所の空港にて搭乗アナウンス放送に活用されている。今後は電車の車内放送用スピーカー等の用途での活用を進めていきたいのだとか(写真はイメージです)
——今後、曲面サウンドの技術をどのように活用していく予定ですか?
田中さん:具体的なポイントだと、屋外に設置されている町内放送を流すようなスピーカーでしょうか。地域の情報だけでなく、津波や地震が来たときには災害情報を流す大事なスピーカーですが、あそこから出る音って歪んでいるし、聴こえにくいこともありますよね。これをより聴き取りやすい音で流せれば、有事の際に助かる人も増えると思っています。
そのためにサウンドファンでやるべきことは、振動板を用いた曲面サウンドシステムの改良です。例えば町内放送のスピーカーなら、屋外に置きっぱなしでもスピーカーが壊れないように、振動板の耐候性を高めないといけないんですよ。
——確かに……! 振動板は繊細な作りをしているので、雨ざらしにするにはちょっと心配ですね。
田中さん:そして、曲面サウンドのスピーカーを広く展開するうえで一番のボトルネックになっているのが、「スピーカーの小型化」です。
見ての通り、カーブさせた振動板ってどうしても奥行きを取ってしまうんですよね。ゆくゆくは曲面サウンドのシステムをテレビ本体に入れてしまうのが理想なのですが、これはまだ難しい。今後も、社員皆でがんばらなければいけない課題です。
テレビって、想像以上に家庭のコミュニケーションの中心にあるものじゃないですか。テレビでも人同士の会話でも、「聴こえ」は豊かな生活の第一歩だと思っています。
「補聴器をつければ聴こえる」という考え方もあると思うのですが……使う方からしてみれば、家にいるときくらいは補聴器をはずしたいですよね。なので、そのような「身につけるもの」ではない形で、聴こえのサポートになるような製品を模索していきたいと思います。
——今後の曲面サウンドの展開も楽しみにしています。本日はありがとうございました!
文=伊藤 駿/写真=西田優太/アイキャッチ=藤田倫央/編集=ノオト