オーダーメイド自転車を製造する株式会社マツダ自転車工場。その代表取締役にして、第一級の職人として活動するのが松田志行さんです。
“普通のフレーム屋”だった事業を先代から引き継ぎ、唯一無二のオーダーメイド自転車の製造に乗り出したのが30歳のとき。それから40余年が経ち、130人の競輪選手の足を支えるトップブランドにまで成長させた手腕の持ち主です。そんな松田さんがモノづくりに込める想いとは何か、話を聞きました。
自転車屋にはなりたくなかった
——御社の歴史について教えてください。
松田:昭和26年に先代の社長が創業しました。当時の荒川区では自転車は一大産業で、昭和30年代には300社くらいの自転車関連企業が軒を連ねていたのです。そのうちの一社として、普通の自転車のフレームを作っていたのが先代の時代です。主に下請け仕事が中心でした。
——松田さんの自転車との出会いはいつ頃ですか。
松田:工場に併設する場所に自宅があったので、幼いころから父親の仕事はよく見ていました。当時は子ども心に自転車屋にはなりたくないと思ったものです。夏は暑いですし、みんな汗だくになって溶接などの作業をしていました。ほかにやりたいことがあったわけではないのですが、母親の想いもあって自転車屋にはなりたくないと思っていました。
——なぜ継ごうと思ったのですか。
松田:私の父親は山形県の出身で寡黙な職人でした。仕事に関してはまったく話をしようとしない人だったのです。そんな父親が、私が高校を卒業する頃に「手伝ってくれ」と言ったのです。父親に何かを頼まれたのはそれが初めてのことです。嫌だとは言えませんでした。
ただし大学には行きたかったので、「大学で学びながら家業を手伝う」という条件でやることになりました。もっとも、手伝うと言っても配達とかをするだけで、職人としての仕事はまったくやらせてもらえませんでした。
——当時の業績はいかがでしたか。
松田:苦しかったと思います。ミヤタや丸石といった一流メーカーがあって、一方では関西に廉価な自転車を作るメーカーがたくさんありました。うちはその狭間で商品がだんだん売れなくなってきていたのです。立ち位置が非常に中途半端だったので、これではダメだと思っていました。
そんなある日、サイクルショーに行ったのです。そこでスポーツ自転車のブースがあったので興味を持って見ていると、ブース内で「オーダーメイドフレームがすごい」という話をしていました。私は自転車を見るふりをしてその話に聞き耳を立てていたのです。そしてオーダーメイド自転車の世界に神様のような人がいることに気づいたのです。
▲ショールームから見える工場の様子。競輪用のフレームはここでつくられている。
数週間後、私はその神様のところへ行って弟子入りを申し込みました。「お金はいらないから技術を勉強させてほしい」と一生懸命頼んだのです。しかし「弟子入りはダメだ」と言われました。それでも私はあきらめきれず、何度も何度も頼みました。すると「日曜日だけならいい」という許可が出たのです。
それで、日曜日になるたびに私は嬉々として神様のところに出向きました。29歳のときのことです。自分の店で予習をして、たとえば「溶接がうまくいかないのはなぜですか」と問うと、「火が弱いんじゃないか」というアドバイスをもらい、帰ってからは復習をしました。
そんな日が3ヶ月くらい続いたのです。ですから、私の師匠はその神様です。名前を出すと叱られるので言えませんが、オーダーメイド自転車づくりのノウハウを教えていただいた恩人です。
競輪の世界へ参入
▲すべてのワイヤー類をフレーム内部に通した画期的な自転車。「うちの技術を結集した作品です」と松田さんは語る。
——御社のオーダーメイド自転車にはどんな特徴があるのですか。
松田:お客さんはみんな目的をもってうちに買いに来ます。競輪選手だったらレースに勝ちたいとか、サイクリングをする人だったら長時間乗っても疲れないものがほしいとか、街乗りだったら快適に気持ち良く走りたいとか。ですから私は作るのは自転車だけれども、売るのは満足だと思っています。
——競輪選手にも人気が高いと伺いました。
松田:今は120〜130人くらいの選手に乗っていただいています。競輪選手は全部で2,300人くらいいるので、およそ5%くらいです。選手たちが乗る自転車ブランドとしては気になる自転車に入っています。
自転車の世界でいちばん高い技術が求められるのが競輪です。競輪選手の自転車をつくるにはJKA(※)に登録をする必要があるのですが、はじめは門前払いをされました。当時の競輪場には1万人くらいの観客がいて、「万が一にも競技中に自転車が壊れたら責任が取れるのか」と言われたのです。
そこで同業の仲間たちと話し合い、3億円を拠出可能な団体保険を作りました。保険に入っていることも重要ですが、しっかりとした技術を持っていることも登録の前提条件であることは言うまでもありません。厳しい試験をパスしないと登録業者にはなれないのです。
※JKA…競輪やオートレースにかかわる人や機材、施設などを管理している公益財団法人。選手の養成や自転車にかかわる事業への補助なども行っている。
自転車をつくって満足を売る
▲フレームを溶接する松田さん。前輪と後輪が一直線上に並び、その誤差は1m/mの世界という精度を誇る。
——松田さんがもの作りに取り組むうえで大事にしている信念を教えてください。
松田:お客さんには自転車を通して満足を売る、という気持ちでやっています。自転車には値段、機能、デザイン、強度、精度、性能という6つの要素があります。このうち値段と機能とデザインは目に見えるものです。普通の自転車メーカーはこの3つを重要視して自転車を設計します。
競輪選手の場合、重視するのは強度、精度、性能です。強度はどれだけの負荷にどれだけの時間耐えられるかを測る指標。精度は前輪と後輪が一直線に並んで誤差がない状態になっているかの指標で、走行抵抗に影響します。性能は設計に関係し、文字どおり自転車そのものの性質です。これらは目に見えません。目に見えない要素を駆使したもので、お客さんに満足してもらえるように努力しているのです。
——これからモノづくりの世界に飛び込もうとする人に対してメッセージをお願いします。
松田:「本気になれ」と言いたいです。何がしたいかを決めたら、それを極めるために本気になるのです。ほかのことには目もくれず一直線でいい。自分の金儲けのためでなく、お客さんのために本気になってほしいと思います。
うちで働いている社員のためにも、もっと儲かるようにはしたいと思いますが、私にとって金儲けはいちばんの目的ではなく結果です。金儲けをしたいのなら、もっと要領よく手を抜くこともできます。なぜなら、自転車の強度や精度や性能は目に見えないので、素人にはわかりませんから。それよりもデザインに凝ってみたりするほうが金儲けには近道かもしれない。
でもお客さんだって馬鹿じゃないのだから、手を抜いた自転車が10年も20年も売れ続けるわけがないと思います。結局は誠実になり、本気になっているほうが、モノづくりを担う職人としてはいいのではないでしょうか。
取材協力:株式会社マツダ自転車工場